お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

牛伏川フランス式階段工

お盆休みどうしようか、といくつか観光地の候補を出していた時に見つけた「フランス式階段工」というモノ。字面からはどういったものなのか全く想像できない。国の重要文化財砂防ダムらしい。

重文指定されているダムは全国に何カ所かあるらしい。フランス式階段工は2012年に指定されている。

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こんな感じだった。河床が階段状に連なり、全部で19段。

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もっとたくさん階段があるように見えるなあ。資料によれば、各段には3寸(約9cm)の小段が設けられており、それで水の流れの勢いを殺しているそうだ。

今はこんな感じのサラサラした小川みたいな牛伏川はしょっちゅう災害を起こしていたらしい。こういう山の中だから主に土石流。ここは牛伏寺という有名なお寺さんがあり、そこから名前を採ったと思われる牛伏寺断層という頻繁にずれてる断層がある。しかもその断層が牛伏川と併走しているという。雨が原因の土石流の他に地震が原因の土石流も起こるんだと。置いてあった資料には元禄3(1690)年~明治29(1896)年で起きた主な災害があった年月が羅列されている。これによると10~20年周期で大きな災害が起こっているようだ(規模の小さい災害は載せていないらしい)。また、この階段工より下流には大きなダムがあった。

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ダムよく見えない。残念。

さすがお盆休みで、ダムがよく見える辺りはがっつり路駐されててこっちの車をとめる場所なかったわ。牛伏寺にお参りに来る家族、牛伏川の河川敷でBBQやってる家族で賑やかだった。

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この階段工は大正5(1916)年着工、大正7(1918)年完成、ちょうど今年は完成100年の年に当たる。が、牛伏川の治水工事自体はもっと前から、明治18(1885)年より行われているそうだ。

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↑こういうものなどを造っていたようだ。これは山止め(崩落止め)の空石積みらしい。

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↑河床も石積み、護岸も石積み。とにかく石を積みまくっている。

 

一番上の段には第1号石堰堤(ダム)という施設があるようだ。そのダムの完成が明治19(1886)年。標高850m~1600mの間に100基以上の石堰堤・護岸水路・崩落止めの石積みがあるという。階段工は標高990m~1015mの位置にあり

(階段工の真ん中辺りが標高1000m地点)、階段工付近はとにかく人の手が入りまくっているようだ。山の木々に覆われて何にも見えないけど。

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ちょうど階段工周辺が一番急峻な谷部分らしい。

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V字のような場所、底に川だー、この部分が一番土石流起こりやすいということで、相当人の手が加えられているようだ。

100年前なので重機もなく、セメント工事は費用の面で不可(内務省直轄工事で資金はそれなりに潤沢だったと思われるものの地方の山の中だから無理だったという)。使われている石は全部人力で運び、設置したそうな。

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↑工事中の様子。

そんな感じなので、色々やってたら30年かかってしまったらしい。

 

 

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穴太衆とかがお城の土台造ってたんだしな。現代でも穴太衆存在してるし(テレビで棟梁のインタビュー見たことがあるが、「経験積むと石の声が聞こえるようになり石の指示で石垣が組める」と語っていた、日本の職人さんらしい言い方で面白かった)。

 

何故「フランス式」と名前がついているのかという理由も、現地の看板に書かれていた。

・池田圓男さんは明治後期に内務省土木技師として欧米へ視察研修に行き、フランスのサニエル渓谷の砂防技術について学んだ

・後に牛伏川の砂防工事に関わり、上記のサニエル渓谷での砂防技術を導入提案した

・そのため「フランス式」と呼ばれている

 

 

階段工のオリジナルはサニエル渓谷を流れるデュランス川に設置されているらしい。その川はフランス4大大河のひとつ、ローヌ川という川の支流らしい。なんかすごいらしいけど、全く実感が湧かず。サニエル渓谷もアルプスの南がどうたらこうたらとか書いてあったけど、よく分からない。フランス行ったことないし。まあでも階段工は外国的な雰囲気あるよなー。デュランス川は荒いと大昔から有名で、こちらも色々と改修されていた川だそうだ。 

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階段工を見に来ている人達はほとんどいなかった。我々の他に家族連れが1組のみ。観光客は結構来ている様子だったのにな。

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この先にもキャンプ場があるらしい。自然大好きなアウトドア派の人達には天国みたいな場所なんかね?

 

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近くの牛伏寺は修験道のお寺さんらしい。縁起は「聖徳太子が42才の時に彫った観音像を安置したこと」だそうで。敏達天皇3(574)年生まれなので、42才なら616年かなー? 推古天皇24年にあたるようだ。 推古天皇30(622)年薨去とあるので晩年の出来事かな?

今回弾丸ツアーを組んでしまい、時間がないため牛伏寺にお参りしなかった。しかし、こんなものが道沿いにあった↓ 

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 牛伏寺の名前に関連する「牛堂」。看板には

・唐の玄宗皇帝が楊貴妃の菩提を弔うため大般若経善光寺に納経させた

赤と黒の牛2頭に運ばせる

善光寺へ向かう途中、この山の麓で牛は2頭とも倒れた

・御本尊の十一面観音様の霊力により牛が死んだと推察される

・牛が運んでいた経典は牛伏寺に納めた

・牛堂では倒れた牛の霊を祀った

 

公式では天平勝宝7(756)年の出来事とされる。楊貴妃玄宗皇帝から死を賜り756年7月15日に亡くなったそう。その年内に600巻の経典造らせて日本に運ばせるの無理じゃないのー? そもそも唐の皇帝は善光寺なんか知らなそう。などと考えていた。単なる伝承なので色々無理があるらしく、鎌倉時代以前の牛伏寺についてはよく分からないらしい。ちなみに楊貴妃は蓬莱(日本)に生まれ変わったとか、阿倍仲麻呂の手引きで日本に亡命したとか、そんな噂もあるらしい。そのせいで楊貴妃の事を持ち出してきたのかもねー? 

聖徳太子が彫った?十一面観音は密教の伝来と共に信仰を集めた観音様らしい。聖観音の次に仏像が多い観音様だそう。密教最澄が一番最初に紹介したとのことだが。最澄は短期留学の扱いだったため804~805年しか唐に居らず、809年密教をがっつり勉強してきた空海が帰国したのがキッカケで流行ったらしい。

ただ、白山を開山した修験僧の泰澄(天武天皇11(682)年~神護景雲元(767)年)が十一面観音像を信仰していたとかで密教伝来よりずっと昔から知られていた観音様かもしれない。7世紀頃インドで成立した観音様と言われている。聖徳太子も泰澄も7世紀の人物のようだ。

 

 ★★★★★

ここは非常に良かった、大自然苦手な私でも行って良かったと思ったぐらい

 

 

 

<牛伏川フランス式階段工>

竣工年 大正7(1918)年

構造 砂防施設