お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

北向観音堂

北向観音善光寺とセットで語られている。善光寺は南向きで北向観音堂はその名前の通り北向きで、向かい合っているかららしい。善光寺は来世にご利益があり、北向観音は現世にご利益があるからとか、なんかゴチャゴチャ書いてあったけど、そもそものキッカケは分からない。結局「昔からそうだから」というふわっとした話だと思われた。

 

善光寺が現在地に建てられたのが皇極天皇元(642)年、北向観音堂の創建が天長2(825)年で、延暦寺のお坊さんが常楽寺含めた3つのお寺(三楽寺)と共に建立したそうだ。常楽寺が管理している。天長2年に常楽寺の裏手の山が大変揺れ、地面が裂けて被害が出たそうで、これを沈める為に第三代天台座主延暦寺の三代目貫首)の慈覚大師(円仁)が護摩を焚いたら観世音菩薩が現れて、この観世音を祀った所が北向観音堂である。観世音菩薩が現れたわりには御本尊が千手観音とある。千手観音は観世音菩薩が変化したものなので同じ神様だそうだ。

観世音菩薩が現れた場所は常楽寺の境内にある。そのため常楽寺が本坊となる。

 

御開帳期間中に「善光寺」とつくお寺さんに(多少のタイムラグがあるけど)お参り済み。

よしこれで片参りにならないはずだ!

 

元々、北向観音堂を管理していたお寺(長楽寺)は元和7(1694)年に燃えた後再建されず廃寺。跡地は旅館が建っているようだ。

両脇の柱には「普門示現」「龍作依怙」とある。

普門示現=観音様は人々を救うために色々な姿で現れる(有名な仏教用語らしい)、は分かったよ。「龍作依怙」は観音様を頼って欲しいな、みたいな意味かしら?

石段を下りると、川だった。

湯川という川かしら? この川の周りは温泉いっぱい湧くんだという。河床がワイルド。長い年月をかけて切り刻まれている感じ。

川と仲見世の先はまた石段。

これは苧環さんですかね。

このお手水は温泉水だった。飲用可。でもちょっと私は無理だった。糖尿病と高コレステロール血症に効果あるようだ。

戦捷紀念(戦勝記念)ということで、このお手水を作ったらしい。大正~戦前辺りの、こういう遺物は絶対見ちゃう。疚しいわけでもないのに背徳感があるというか、ドキドキしちゃうわ。

本殿。

お参りをする。某有名歌手の寄進があったようで、大きく名前の書かれた提灯があった。

奉納された絵を見たかったのよね(飾ってあるって聞いてきたのよ)。

この絵だよ。

 

外へ出た。

樹齢1200年の木で、現れた観音様が宿った霊木であるそうだ。愛染桂という名称だそうで、傍らの愛染明王堂とこの桂の木から恋愛小説(死別シンママと病院経営の金持ち御曹司との恋愛モノのようだ)が生まれたので、そのタイトルから取ったらしい。それ以前は名前もなかったそうだ。あらら霊木なのに…。


傍らの「愛染明王堂」はどこだろうと思い、周囲を探した。

一番近くにあったのが、不動堂。不動明王だよね…?


結局愛染明王堂は、お手水の近くにあったお堂だった。

ちょっと離れてる! 愛染かつらって語呂がいいからかなー? と思った。


薬師堂もある。うひょー懸崖造りだよ。温泉薬師瑠璃殿という名称らしい。薬師如来薬師瑠璃光如来ともいうそうで、薬師如来の住む世界(浄土)を瑠璃光浄土という。有名な極楽浄土は阿弥陀如来の住む西にある世界で、瑠璃光浄土は東にあるそうだ。

浄土といえばこの二つしか知らなかったので、グーグル先生に聞いてみた。他は聖観音補陀落浄土とかあるらしい。仏様毎に浄土(世界)があるそうなので「○○浄土」はいっぱいあるようだ。

 

ちなみに、北向観音常楽寺の紋が笹竜胆(デザインあのせいで家紋に詳しくなった。家紋を描くコーナーだけ復活してほしい)なのは源頼朝が再興したからだそうだ。彼は善光寺も再興している。

昭和36(1961)年に本殿が撞木造りに改築され、善光寺とお揃いになったそうだ。

なんか石碑がたくさん建てられている。

 

玉垣

七久里橋は架け替え工事中でした。

神社の裏手に行くと。

なんと、この裏手では善光寺とセットでお参りする謂れが分かったよ。
北向観音堂で厄除け札をいただいてから善光寺の御開帳に行ったらM7クラスの大地震(弘化4(1847)年の善光寺地震)に遭ったものの、無事だった。という内容の絵馬が奉納されているという。私はその絵馬、どれだか分からなかったよ!


そんな善光寺地震から6年後、

その後何年もM7クラスの地震が続いていくつも続いており、この世の終わり的な奴がきた雰囲気だったんじゃないかなー? 私も東日本大震災から10年以上たっても、未だに地震アラート鳴ると緊張するもの。

こんなに大地震が頻発してたら、革命も起したくなりますわな…と思った。

 

明治12年頃には地震も落ち着いていた様子。良かったね。

 

★★★★★

家族連れでちょうどいい感じ

北向観音堂>

天長2(825)年?

 

 

 

 

月1くらいで1人で出かけて、美味いもの食べないと生きていけない気がする。肉が柔らかかった。年取ったせいなのか、もう1人にしてほしい衝動に駆られまくってる。

このお店、たくさんのマダム達で賑わっていたよ。