お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

入山城

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入山城に行ってみた。数年前にも一度来たことがある。

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前回来たときにはこういう張り紙↑があったが、今回はなくなっていた。ポケストップなどがあったわけではないし、多分ここまで探しに来るような人もいないのにーと思ったよ。やっぱり誰も来なかったんだな。

前回来たときと同様、今日も人っ子1人居ない。

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山の麓には↑こんな感じで道らしきものがあった。しかし、よく分からんので前回と同じように給水施設から登ってみた。こっちの方が車を駐めるスペースもあるしねー。

 

↓前回

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↓今回

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季節がだいぶ違うねー。

お城は正面左に見える、こんもりした山の中にあるらしい。一応、千曲市が史跡指定しているが、登山道なしとのこと。ここから普通に道っぽいのあるじゃん。などと安易に考え、前回は途中で脱落したのよね。そんな経験がある為今回は1人で来た。

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↑北側は急斜面。

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目印のピンクのテープがあるものの、途中で消える。この辺りはまだ人の手が入っている雰囲気。

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適当に歩を進めて行く。徐々に獣の足跡ばかりが目立つようになってきた。

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最早人間が手入れしている気配がない。前回はこの辺りで断念。子供は歩けないだろ、こんな場所。

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↑登ってきた後ろ

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もうちょいでお城に着きそうなので、なんとか頑張る。獣の足跡すら消えてしまった。山の生き物ですら敬遠しちゃうような斜面なのかー? 意地でも登ってやるー。

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斜面を登り切ると、急に明るくなった。着いたらしい。

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石積み? 石が並んでいるように見える。ただの石がゴロゴロ積み重なっただけかなー? 少し不自然な感じ。

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見えてきた場所が4の郭。ここには祠があった。

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祠には神様がもういらっしゃらないのか、誰かお参りに来ている様子もない。荒れている。ただ、先ほどの急斜面と違ってこの平場は動物達の憩いの場になっているらしく、コロコロうんこがたくさん落ちていた。なるべくならうんこ踏みたくない。そんな願いもむなしく、そこら中にうんこが落ちていた。諦めた。私はこの日、一生分のうんこを踏んだと思ったよー。

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4の郭とお隣の本郭との間には堀切があった。意外と深い堀切で、これだけで満足したわ。

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どちらかというと、北側(恐らく館があったと思われる方向)の方がしっかりとした造りで、南側は防御が甘い感じ? 郭の連絡路は南側にあったのかな。 

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祠は「蚕」「稲荷」の文字だけ分かった。蚕という文字があるところを見ると、祠は明治以降の新しいものかもしれない。どちらにしろ、祠があるぐらいだからどこかに道があるはずだよね? 私が侵入した経路が間違っているんだけども、最初に見た道らしきものがココまで繋がっているか確信持てず。

昔の地図を見ると、城山(この場所を指しており、地図上には4つの郭が描かれていた)という表記、「越道」という文字と細い道も描かれていた。道があったことは確からしい。生活道だか隣の集落へ向かう近道のようだった。

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お隣の本郭に移動しようと思う。

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南側から移動。

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堀切の中から。

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本郭に到着。

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さっきよりもずっと広い。

腰郭のようなものが↓

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北側には土塁↓

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仮想敵は北側に住んでいたんかね? 南側は誰も攻めてこないの? 大丈夫なのかねー?

↓本郭から見た4の郭

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高いねー。

 

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次の郭へ移動しよう。

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ところが次の堀切が異様に深い。これどうすんだよ、登りにくいな、などと考えてとにかく南側に目をやると。

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土橋というやつなのかね? 道らしきものがある。

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2の郭に到着↓

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特に何も残っていないようなので、次へ。

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ここの堀切も中々深い。

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3の郭に到着↓

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後ろを振り返ると、それぞれの郭が駱駝の瘤のようにヒョコヒョコと見えていた。それだけ堀切が深いということなのかもしれない。感激してしまった。

でも、このお城目立った活躍はしていなさそう。標高は低い、城主もよく分からない。すんごい堀切深くしてるのにさ、何か勿体ないね。

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3の郭は細長い感じ。

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奥へ進んでいくと。

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最後の堀切きた。この貧弱な堀切を渡ると。

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謎の盛り上がりが。

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見た感じ、土塁とかではなさそう。自然に出来るものではないので何かの施設?

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この盛り上がりはフッと消えてしまった。もうこの先、何もないようなので帰ることにする。

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↓本郭より善光寺方面(北側)

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↓本郭より出浦城方面(南側)

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あっという間に4の郭下まで戻った。お城の規模は小さい。密度が濃い。市の史跡に指定されていることに納得だよ。凄く綺麗な状態だなと思った。

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問題はここから。斜面を降りるの嫌だな。うんこ踏みまくったから気分的には「どうにでもなぁれ」なんだけど、転んで雪まみれになったり怪我するのは絶対に避けたい。重要度としては、うんこ<怪我だよ。

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怪我せず転びもせず、なんとか降りられた。やったー。

その後は麓まで降りた。

麓には見性寺というお寺さんがある。

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扁額が「第一義」だった。仏教用語で究極の真理という意味らしい。なんかで見たなと思い、考えてみたら昔行った新潟の林泉寺の扁額と同じ言葉。高田の老舗和菓子屋さんで「第一義」という名前の羊羹が売っていて、それを買ったんだった。

 

お城のある山の近くには、路傍にこんな石柱があった。

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この辺りは古い道がいくつか交わっている交通の要衝だったようで、入山城は街道監視のお城だったらしい。↑の石柱には

西 松本麻績道

東 坂城道

北 八幡善光寺

とあった。

 

更に道を行くと、

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馬頭観音が立ち並んでいた。

明治という年号が入っているものがあり、そんなに古くないと思うんだけど。いずれ埋もれて自然に還りそう。

 

 

★★★★☆

とても良かった、麓の道?から登れば楽勝だったのかな



<入山城>

築城年 不明

築城主 入山氏?

構造 山城 

 

姨捨孝子観音

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なんとなくドライブしていたら、辿り着いた。観音像があるらしい。

階段は嫌だったので坂道を上がっていくと、何かの施設があった。

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初神社かと思ったんだけどー。建物の周りには古そうな石碑群。何が書いてあるのか分からない。読む気もしないねー。場所柄、俳句とか和歌の石碑なんじゃないかと思うわ。

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この建物から更に高台へ上がっていくと、またもや石碑群に出くわした。

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大きな碑は「招魂碑」とあった。ほぼ字が薄れかけていて読みにくいが、更級郡出身の小河原小五郎さんの来歴、徴兵に応じて従軍したものの上陸した先で風土病に罹り死亡、彼の友人達が招魂碑を造りたいと願い建立されたものらしい。明治30年代に建てられたもののようだ。石碑の記述によると明治29年12月に徴兵されたようだ。一番近い戦争だと義和団の乱? 戦争に征き異国の地で亡くなった為にこういう碑を建てて供養するの、昔流行ったのかな。長閑な田舎に行くとけっこう残っていたりする。

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もう少し先があるらしい。この上は坂の下で見かけた「姨捨孝子観音」というのがあると思う。

登り切ると。

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御嶽神社の石碑。

 

で、これ↓が姨捨孝子観音らしい。

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この観音像は比較的最近出来た物らしい。来歴が彫られた石碑があった。タイトルは「姨捨孝子観音由来之碑」。

冠着山の地元を領有したる郷士あり 或時此領主の若殿が怪我を受け姥の責任なりとして殿の怒に触れ 姥を冠着山に放逐せしむべく 姥の倅に厳命下され 倅に一応深山に背負い行きたれど捨て切れず 窃かに我家に連れ戻り孝養を尽し居たりき 此の時付近に地辷り起こり食糧飢饉に至り難民○出せる為 殿様は隣郷の領主に食糧を求めたり 領主は答えて二つの難問題を出し之を解くならば食糧を送るべしと返答せり 殿様は之を解けず我領地内に解くものあらば過分の褒美を取らす可く布令を出したり 姥は之を聞き直に解き倅に教えければ倅は殿に言上効せり致せり 殿は非常に喜び過分の褒美を与え尚姥の罪をも許されしと言ふ 孝子美談の伝説なり 依て姥捨山と称えらろふに至れり 世に言ふ非道の伝説は誤にして之を是正せんが為め姨捨孝子観音を樹立して孝子の誉を永く残さんとする所以なり

昭和36年4月

 

内容にある物語は聞いたことあるよー。日本昔話的な奴で。ただ、若殿に怪我させた罪で山に捨てるという感じじゃなかったような? 老人全部捨ててこい! だったような?

調べると、姥捨山の話は2パターンあり。

  • 70歳以上の老人は国を追い出されるという掟のある国の住人で大層親思いの息子がいた、規則通り70過ぎの親を国の外に捨てることが出来ずこっそり匿う。そして難しい問題を出された殿様が云々
  • 実の親を早くに亡くした男は自分を育ててくれた姨を大事にしていた。しかし男の嫁は姨を憎み山に捨ててくるよう男に命じた。男は姨を背負い山に登り一旦は捨てて来たが、後悔してまた山から連れ戻した

上しか知らないわ。「長野県の昔話」みたいな本に老人を憎む殿様が命じて国中の老人を捨てさせたが…という内容があり、多分私これ読んだんだわー。一番有名なのは捨てたはずの老人が密かに連れ戻され、難題を解いて息子に教えるパターン。これは昔から有名なものらしく、今昔物語集・打聞集などに見られるらしい。出題されるクイズがいくつかあり、収録された書物や地元伝承で内容のバリエーションも豊富という。元ネタは雑宝蔵経という仏教の経典(説話集)の中にあるそうで、つまり外国が舞台の話だったようだ。

下のパターンは大和物語に収録されている話らしい。信濃という具体的な地名が出てくる棄老の話はコレが初のようだ。信濃の姥捨という地名の由来を記したものらしい。

下と上と「老人を捨てようとした」以外共通点がない、下は物語としては面白みに欠ける(嫁姑問題など争いごとの話は大好きですがね)し、普通の人ならクイズを年の功で解いちゃう方がスカッとするかなー? どちらも「世に言ふ非道の伝説」ではなさそう。婆連れ帰ってるしさ。

 

どうやら昭和30年に「楢山節考」という小説がベストセラーになり、映画化もされたせいで姥捨山とその周辺に関わりある人達が風評被害に遭ったらしい(小説の設定は信州だが、モデルは他の県だと作者が書き残していた)。東京に出て行った更科出身者達が「親不孝の里から出て来た」みたいなことを言われて怒り、この石碑を建立してマイナスイメージを払拭しようとしたらしい。

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そのせいか、石碑のタイトルは旧皇族東久邇稔彦、撰文は貴族院勅選議員・日大名誉総長等の多く肩書きを持つ山岡万之助、筆は日新流という華道の家元の新井日新、と立派な人達にお願いしているみたい。さすがに東久邇宮だけは私も知ってる。結局これでマイナスイメージは消えたのかしら?

 

この他には祠↓

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観音像建立にあたり寄付をした人達↓

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近衛篤麿さんお手植え?↓

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公爵近衛篤麿(1863~1904)さんが植えたにしては貧弱な木よね。2代目の木かしら?

 

ボロボロで何かよく分からない碑↓

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大田定治さんの慰霊碑らしい。

来歴が書いてある。彼は明治6年4月5日生まれで性格は温厚、明治26年に徴兵され陸軍近衛師団第2連隊に所属、輜重輸卒として兵站を担当した。そして台湾に渡り、その地で没した。享年23歳。ということらしい。内容的に、日清戦争後の日本統治時代のようだ。明治27年に近衛師団第2連隊は日清戦争に従軍、明治28年台湾を平定したとかwikiに書いてあったわ。最初見た小河原小五郎さんの碑より古い。当然、観音像よりも古い。オンボロ具合から移設してきたとも考えられず。

探すと、ここは姨捨孝子観音の建立のため整備された広場ではなく、元々は冠着山山頂の冠着神社の遙拝殿とお月見するための観月殿(さっき見た奴)が置かれていたようだ。

 

 

★★☆☆☆

境内には土俵があり、子供はその中で「相撲だよー」と言いながらひとり四股を踏んでいた

 

 

姨捨孝子観音>

建立日 昭和36(1961)年

 

 

 

 

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随分前に姨捨駅が改修終わったらしいので、近くなのでついでに見に行ってみた。

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ここは全国でも珍しいスイッチバックという施設があるそうで。↑この看板にもスイッチバックを示しているのかな? という感じの変な描き方してるわ。

小学校の遠足でも電車に乗る練習ついでに、これを見に来た覚えがある。電車が変な動きするんだよねー。

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棚田も見えた。

 

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↑私この建物の内部が見たかったんだけど、かなり厳重にブラインドが下ろされて覗くことが出来なかった。残念。1泊2日、この施設を使用するJR主催の鉄道旅のコースは32万~で、その高額さにマジで顎が外れかけたわ。私の憧れ船旅だと、1泊2日クルーズの一番安いプランでにっぽん丸、飛鳥Ⅱ共にそれより1桁程少ない料金で行ける。2日間の旅行で30万以上払わされたらさ、少しでも不満を感じたら自分の負けみたいな貧乏根性出しそう、意地でも旅行内容を褒めちぎりそうだわ私。

荒砥小城②

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冬になった。

 

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ちょっと時間が出来たので、以前たどり着けなかった荒砥城の先の城を目指してみることにした。

正式には「荒砥城跡群」というらしい。千曲市文化財一覧を見ると

  1. 荒砥城    本郭から五の郭までの連郭式(史跡公園として整備)
  2. 荒砥證城   2つの郭と土塁残る、複郭式
  3. 若宮入山城  4つの郭、複郭式
  4. 證(正)城  2つの郭と土塁残る、連郭式、狼煙台

の4つのお城から成り立っている、とあった。ちなみに千曲市のみ「荒砥證城」と記しているが、他の資料だと「荒砥小城」の表記ばかり。どちらが正確なんだろ?

 

前回道を塞いでいた軽トラがいない!

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オフシーズンで人もまばらなので、すすっと入った。

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落ち葉酷い。

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前回は気付かなかったが、電灯のようなものがそこかしこにあった。電線はない。朽ちている。目印は廃神社なので、神社参道用の電灯だと思う。

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段郭も健在。

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あっさりと分岐点に到達。写真右上が目印の廃神社のようだ。ここから西に向かうとあるらしい。この分岐点も少し開けた平場になっている。お城の一部なんだろうか。ちなみに、荒砥城跡公園が整備される前は遊園地だった、とテレビか何かで聞いた。開発されていて原形は…?

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お城はまだ先。何か倒木が見えますわ。

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前回より酷くなってそう。廃神社までは管理者(または廃墟好き)が来ているのか綺麗だったけど、ここから先は誰も来ないのかねー?

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言葉になりません。

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↑段郭かな?

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↑下の段郭みたいなのを辿って来た方が楽なんじゃね? と思う。見た感じ、とても綺麗なのよね。

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何か急に開けた。なんとここは。

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人が入ってきている。それもごく最近。さっきまでの倒木だらけ、荒れ果てた道は何だったんだよ。

で、この開けた感じの場所が、目指していた荒砥小城だったようだ。

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千曲川方面 見晴らしは良さそう。

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この付近だけはやけに人の手入れがされている。きちんとした作業道が存在しているらしい。段郭かと思っていたアレは、もしかしたら作業道の一部なのかも。地図見ると、私が歩いてきた道の他にも道があり、ちょうどこの地点でぶつかるようだった。管理事務所付近に入り口が二カ所あるようだが…そんなのあったっけ?

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小屋を壊した? ような物まであったよ。

この先は↓

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また道が分かれている。

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右↑と

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左↑と

この道も結局は合流する。左は作業道のようで、非常に歩きやすそう。正解は左と思いきや、実は右の道の先に堀切が存在するらしい。どっち行っても同じだから、倒木覚悟で右の道へ進む方がいいんだろうか。その先に若宮入山城があるという。

今日はもう薄暗くなってきているので、行かない。

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なんか変わった地形よね、これ↑も何かあるのかしら?

やって来た方向へ振り返ると。

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土塁がよく見えた。

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土塁の向こう、崖だったんだけどね。

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うんざりするほど荒れている。

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↑二ノ入館側

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土塁以外は何もないとのことで、帰ることにした。

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どうやって乗り越えてきたのか分からなくなってるー。

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再び廃神社に到着。左側の高台?も多分、お城の一部だったんじゃないかと思う。連郭式とあったから、左上は郭跡かもしれない。登るの面倒臭そうだから確認していない。

 

せっかくだから廃神社も見に行くことにした。

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何の神社か、ココでは分からなかったけど。後で調べたら天満宮だったようだ。建物自体は古さを感じず。遊園地があった時代(昭和40年代くらいなのかな?)に勧請されたのだろうか。そのぐらいに建てられた感じのお社ではある。

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廃神社周辺はやはり、さほど荒れていない様子。

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ここまでは舗装されていたけど…自動車は来れられない雰囲気の道だったよ。

神社の境内はこんな感じ↓

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奥の建物は天満宮と思われる。左の建物は「三天神社」とあった。三天神社の詳細がよく分からないのでざっくりぐぐったけど、何も分からなかった。

左の建物は何故か境内の外、道側に建物が向いていたので↓この神社の社号が「三天神社」だったかもしれない、とも思う。

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そういえば鳥居はなかったな。

振り返ると、荒砥城だった。

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柵の向こう↑

 

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この場所も非常に見晴らしが良かった。

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ちょっと不気味になってきたので、退散ー。帰りました。

 

 

 

★★☆☆☆

途中の道は大人じゃないと無理?

 

 

<荒砥小城>

築城年 不明

築城主 不明

 

 

 

荒砥小城①

これは数年前に荒砥城より先にあるというお城跡を探しにいった記録である。

ちなみに、荒砥城→荒砥小城→若宮入山城→證城と進めるらしい。あんまり調べていない。

 

 

ようやく荒砥城から先のお城群に行ける道を見つけたのでやってきた。

↓これである。

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道だとは気付かなかった。何度か荒砥城を見に来ているが、いつも軽バンに道を隠されていて分からなかった。地図にも載っている細い道だが、うっかり迷い込まないようにわざと駐車しているのだろう。

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御覧の通りの有様。軽自動車が通行できそうな道幅、コンクリ敷いてあるものの、荒れている感じである。誰か通っている様子はあるので、徒歩なら支障なし。

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隠してある道なのでちょっと緊張するが、進んでみよう。

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どこからか来た道とぶつかった。荒砥城跡のほうから来ている道っぽい?

交差点には建物がある。人気なし。ここまで順調。

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倒木がー。

比較的最近になって倒れた雰囲気。おおどうするかなこれは、と少々悩む。何故かというと跨げない潜れない、中途半端な高さの倒木だったから。結局、潜っちゃいました。

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良い眺めだなー。

この辺りには段郭なるものがあるらしく、探すとすぐに見つかった。

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こっち側の下、領主の館がある方向。

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↑この図的には、すぐに荒砥小城に着きそうな感じするね。しかし、世の中はそう甘くない。

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派手な倒木見つけた。これは子供無理ですね、撤収。

 

また改めて荒砥城に行ってみる。なんか観光客で賑わってたわ、平日なのに。

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荒砥城から進める道があるのか、もう一回探したけど分からなかった。管理者用道路っぽいのはあったので、そこから進入できるのかしら?

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↑正面の木の陰にある建物が、先ほど交差点にあった無人の建物のようだ。目指した山はその奥、こんもりしてるやつかな?

 

 

★☆☆☆☆

倒木危険。

 

 

<荒砥小城>

築城年 不明

築城主 山田氏?

構造 山城

碓氷関所

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何年かぶりに県境を越えた気がする。群馬に来たのは本当に久しぶりだわ。群馬では何故か桜のような花が咲いていたよ。

目的地の近くに史跡があるというので見に行ってきた。碓氷関所という関所があったそうだ。

 

西国から江戸に向かう大きな街道としては、東海道中山道がある。私が買っている漫画の最新刊が出たばかりで、ちょうど内容が「和宮(偽物)が降嫁~徳川家茂の上洛が決定」だった。江戸に向かう和宮がここを通ったそうで、なんか個人的にタイムリーな場所だったわ。

この関所の歴史はかなり古く、昌泰2(899)年碓氷坂(碓氷峠)に設けられたものが始まりと言われているらしい。江戸時代には中山道という名前になっていたけど、それ以前は東山道という名前だったようだ。この街道のルートは時代により多少ずれがあるけど、大まかな道筋としては古代から現在まで変わらないらしい。中山道東山道も軽井沢~碓氷峠~坂本という並び方。

何かで聞いた話だと東山道の碓氷坂=入山峠と考えられており、これは現在の碓氷バイパスと大体同じルート。一方、江戸時代の中山道が通るのは碓氷峠で鉄道の旧信越本線と旧国道18号とほぼ同じルートだそう。

江戸時代の中山道は今でも生活道路として存在しており、舗装されているので車の通行も出来た。狭いけど。

 

碓氷関所は碓氷峠の頂上にあるとか勝手に思っていたけど、坂本宿と松井田宿の間にあって峠からは離れていたことを今日初めて知った。

 

関の位置も時代毎に変わったらしい。古代の関はどこだか分からないけど、正応2(1289)年には関長原(松井田町横川)に置かれていたそうで、今は山吹の郷という公園?になっているらしい。

江戸幕府が慶長6(1601)年に中山道の整備を開始し、7年かけて完成。ほぼ東山道のルートを踏襲しているようだ。現在の碓氷関所は元和9(1623)年に置かれ、江戸と京都を結ぶ2大街道(山側)の重要関所としてかなーり厳しく通行を監視したようだ。碓氷関所が置かれた後の享保元(1716)年に東山道は正式に中山道という名称に統一された。

 

東海道中山道は重要な街道で、その街道筋の関所の中でも東海道の「箱根」「新居」中山道の「福島」「碓氷」の4つを天下の四大関所と位置付けて厳しく通行人を取り締まったらしい。

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中山道路傍に立つ碓氷関所東門跡

↓中央:中山道 右:階段の上が関所の番小屋跡

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中山道の碓氷関の東側・西側それぞれ門があったらしい。東門が安中藩管理、西門が幕府管理。番所は階段の上にあったようだ。

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階段を上がってみた。

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↑東門。移築されたらしい。本来はさっき見た中山道の道路上にあった門。

門柱・扉・台石と屋根の一部は当時の物で、それら以外は造って昭和34(1959)年に復元されたそうな。

西門は所在不明(廃関されたあとの記録なし)。

 

番所の小屋などの配置はこんな↓らしい。

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東門と西門の間(関所内)は52間2尺(約95m)。結構広い。関所で働く役人達の住まいもここにあったみたい。役人の定員は14名で、役人の家族や雑用係で採用した一般人もここに住まわせていたような感じ。意外と賑やかだったんだー。

役人は安中藩からの派遣と代々定住している現業の同心と門番で構成されていた。幕府管理の西門番は代々の定住者らしい。安中藩管理の東門番は近隣から採用した人が担当。

 

安中藩譜代大名が藩主家になっている重要な藩だったらしい。あと日本初のマラソン大会を開催した藩らしい。勝新太郎出演の映画「まらそん侍」っていうの、ごく稀にCSで放送したりしてて名前だけ知ってたんだけど、あれは安中藩の話だったらしいわ。

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ここが紛う事なき関所跡だったんだけども、↓こっちも少し気になっちゃってねー。

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子供も登ってみたくなったらしく騒いだが、嫌な予感が。

まあでも行くかと子供に引っ張られて登らされた。

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先に何があるのか分からないまま。

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石垣があるぞー。

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祠があり、行き止まりー。

  • 以前は関所八幡社があった
  • 同心家の古文書には関所内に八幡社、稲荷社があったという記録あり
  • 建立された時期は不明
  • 壊れた円筒形の石塔があり、ここには延享4(1747)年奉納とある
  • 明治2(1869)年の碓氷関所廃止と同時に八幡社・稲荷社はお移りになった
  • どこに移ったかは分からず
  • 大正8(1919)年、地元民が新たに御稲荷さんを祭った

ということで、関所の西門の件と言い、廃止時にかなりの混乱があったように感じた。

 

お参りをしたので降りようとしたら、やはり子供が「怖くて降りられない」などと言い出す。高いところが好きなのは知ってるけどさー後先考えろよーと思いつつ、抱えて下まで降りる羽目になり。復元東門の辺りにいたボランティアガイドのお爺さんが我々の様子をずっと見ていたようで、「大変ですねえ」と苦笑された。

関所跡の敷地には資料館もあり、そこでお話をうかがうと上の社は関所の守り神だったそうだ。通行手形のコピーやら子供にちょっとしたお土産もいただき随分良くしていただいた。

通行手形は発行先と台帳があり、毎回役人が確認するんだそう。文章は手書きでテンプレがあり、細かい言い回しは変えてもよいらしい。内容がどうのと吟味するわけではなく、通行手形のハンコが偽造されていないかの確認は絶対していたという。

 

天下の四大関所だけあって、通行人は立場がかなり弱そう。

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ほぼ土下座でお願いするみたい。

いただいた通行手形のコピーは松代藩士のものだったけど、歴としたお侍さんも手をついて通ったのかしら…大変ねー。

 

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ここにきたのは、これ↑のせい。

子供は昔からトーマス>アンパンマンだったので喜ぶだろうかと連れてきたら。園内ではひたすら葉っぱ拾っていやがる。そして群馬県内かつ隣に国道18号が走っているせいで、近くの道路には格好いい自動車を良く見かけた。子供もトラックやスポーツカーばかり気にしていたわ。

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この機関車は古い物ではなく平成10(1998)年生まれみたい。ウィルソン・エンジニアリングというイギリスの会社が手がけた機関車で、その会社はナローゲージ用ミニチュア機関車と客車の製造メーカーだったみたい。観光用の動く機関車を主に製造していたようだ。ブレ渓谷鉄道というイギリスの国立公園内の鉄道でウィルソンエンジニアリング製機関車の多くが元気に走っているとwikiで読んだ。ウィルソン・エンジニアリングは1980年代半ばに設立、2001年倒産。

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子供を乗せてみたところ。初めて乗る乗り物なので、ひたすら固まっていた。レトロ感が売りだろう、乗り心地はあまり良くなかった。車輪からの振動がお尻にダイレクトにくるんだよ。

 

敷地内にはたくさんの列車が置かれていた。

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一番気に入ったのがコレ↑

除雪用ディーゼル機関車。北海道で走ってた機関車で、高出力仕様。全国でも3機しか造られていないと書いてあった。投雪で民家や電柱などを壊してしまい、里を離れて山へ追いやられてしまった可哀想な奴。私パワー系好きなの。ジェットエンジン積んだ機関車も存在していたことがあった(試作で終わった)みたいだし、プロペラついたメチャ速い列車もトーマスに出てきたよ(アレ実在したらしい、写真で見たことがある)。今の人はパワー系嫌いなのかねー? かっこいいのに。

子供は静態保存の物に興味なし。後で鉄道博物館に子連れで行った知り合いと話したら、鉄道博物館内の展示車両より隣の駅に入ってくる動く列車の方が喜んでいたよ…と言っていた。やはり子供は動いているものの方が良かったみたいだ。

 

10年以上前にも来たことがあったけど、その当時は内部も公開していたのに(機関車内部の謎の機械類を見て喜んだ記憶がある)、今は全部鍵かかってた。見たかったな、謎の機械。

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帰り道、せっかくなので中山道を少し走ってみたよ。一車線幅の道路だった。神社があった。

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↑碓氷神社

と入り口の案内板に書かれていた。御祭神はやけに多いのは、合祀されたためだったのか。

 

 

★★★☆☆

江戸時代の有名な関所だったけど、ほとんど解体されていた

 

 

<碓氷関所>

設置年 元和9(1623)年

須々貴城(下の城)

岡城跡が思いの外良かったので、あまりリサーチせずに次のお城に行ってしまった。

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須々貴城。

今は「須々貴山神社」になっているらしい。背後の山が須々貴山というのだろうか。

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猪避けなのか、入り口がこんな感じ↑で非常に敷居が高いように思えた。柵をキィと開けて入る。

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古い神社なのかどうか、よく分からん。

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えーなんか石段おかしくね? ちょっと石段の先が見えないような気もするわ、その辺がね何かね。

 

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少し周囲の様子を観察してから、石段を登り始めた。

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急階段かつ緑が濃いので先が見えないに違いない。きっとそう。

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登山道もあるらしい、しかしせっかくなので階段を。まっすぐだし、登山道を行くより近道だろう。今日は1人だった、しかも行き先は誰にも言わずに来た。

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新しめの看板。山の名前は「天白山」だそうな。石段も507段とあるが、まぁ大したことじゃないだろう。改修してあるっていうし。

そんな気分で登り始める。

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↑変な奴あった。

100段。

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昔の石段だし、多少は急だけどこんなもんだろう。正直、そこまで疲れてないわ。

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でも真っ直ぐ伸びているせいか、地面が少しずつ遠くなっていく実感がわく。

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苦労感じずに200段到達。

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半分過ぎた。さすがにちょっと疲れたかしらね?

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↑落ちたら死ぬかな? 少し慎重に行こうか。

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400段到達。キツくなってきた。

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なんとなく先が見えてきたよ。

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階段は狭い、少し歩きづらい。

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後ろは純粋に怖い。転んだらマジで死ぬ。行き先は家族に告げてこなかったし、こんなところで落ちたら死後数日たってやっと見つかりそうな。地元民もこんなクソみたいな階段のある神社、頻繁には来ないと思う。二時間サスペンスドラマで、たまに公園や神社でもみ合い→片方が石段から落ちる→死ぬ、っていう展開見るけど。精々20段程度で死ぬかいなーって生ぬるく見てしまうのだが、こういう階段でやったら非常に説得力があるし、ドラマ映えもするんじゃないの? と思います。

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500段にやっと来た。この時点で恐怖のあまり立って歩けず、四つんばいで階段を上がるという体たらく。高所恐怖症じゃないのに、この階段は身体が受け付けなかった。
 

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500段と少し上がり、広場に出た。やっと人心地ついたわ。振り返って見る余裕も生まれた。

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よく分からない石碑。字が読めないの。あれ、ここが本郭跡かしら? と思ったけども雰囲気がおかしい? 郭的なものないし、堀切みたいなのもないし。ふざけた石段で真っ直ぐ来ちゃったから見えなかったのかしら?

 

結局家帰ってきちんと調べたら、さらにこの奥、尾根伝いに上がっていくと本郭になるそうな。この場所は須々貴城でも「下の城」と呼ばれるエリア。本体は「上の城」のようだ。

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↑多分こっち上がっていくんじゃないかなー? 何も考えていなかったので、よく分からない。

 

須々貴城は、

  • 上田原の戦いで、村上義清が布陣した城
  • 元は地元の豪族、小泉氏が築城した城らしい

ぐらいしか分からず。小泉氏も「小泉下の城」「小泉上の城」「根小屋(小泉氏館)」と他にも城を持っている、力を持った豪族だったらしい。上下のお城造っちゃうのは小泉氏の伝統かなんかなのかね?

この地域に小泉小太郎伝説という民話があるんだけど、その小泉さんとお城の最初の主の小泉さんと、何か関係があったりして?

 

何も調べてこなかったので、とりあえず探す。

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私の目に留まったのは、こっちの階段↓

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何かあるから行ってみよう。

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登ったよ。

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崩れてるんですけどー。

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登り切った。

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須々貴山神社の社殿のようだ。こちらは非常に眺望がよく、物見台だったかも。

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社殿はそんなに大きいサイズではないが、平場ギリギリに建てられている。

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↑こっちが上田原の戦いの戦場方面だっけ? もうちょっと右だっけ?

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↑反対側は山

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本人はこんなイタズラしたこと覚えてないと思うわ。

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↑多分上田市街地方面

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とにかく見晴らしがいいことが分かった。

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この神社には、天白大権現?と猿田彦命が祭られているようだ。この山は天白山とも呼ぶらしく、この神様が元ネタということなのかしら? 猿田彦命天孫降臨で降りてきたニニギの道案内をした神様。ところで、この2柱はどういう関係なのだろうかね。

 

お参りを終え、無事に下の平場に降りられた。

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帰り道はこっちだって。

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さすがにあの石段を降りて帰る変態はいないかー。

こっちの道の方がいくらかでも楽かもしれないし、素直に標識に従った。

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いきなり雲行きが怪しくなった。

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この道も苦しい道ですなー。

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最初は覚悟したけれど。他は普通の山道だった。

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とりあえず、一度は転んだ。だが、あの石段よりもずっとマシな気がする。

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山道もきちんと整備されているようだ。

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そのうちに、何か竪堀のような巨大な堀切が見えてくる。

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やっとお城らしいものを見つけたよ。そんな竪堀もすぐにいなくなった。

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また出てきた竪堀。

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↑また出てきた竪堀

登山道は蛇行しているので、竪堀に近づいては遠ざかる。

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↑最後に竪堀を見かけたときは、こんな感じ。もっと続いているようだが、見かけなくなった。

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獣の形跡かしら?

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もうすぐ下界に降りそう。

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はい着いたよ。

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古い石灯籠1対は文政12(1829)年13(1830)年に奉納されたものらしい。願主は同一(入田澤村と田澤中村かな?)のようだが、何故か文体が違う。

 

 

★★☆☆☆

個人的には非常に楽しかったけど、こんなところ子供は歩けない

 



<須々貴城>

築城年 不明

築城主 小泉氏?

構造 山城

篠井神社

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特に目的があったわけではないけど、何となく山道を走らせていたところ。ナビにデカいため池?らしき池が映し出された。近くに神社があるようなので「きっと車を駐めるスペースもあるはずだ」と寄ってみることにした。

神社は「篠井神社」というらしく、この近辺の地名・篠ノ井の由来か何かと思ったのにどうやら違うらしい。読み方自体も違う。

 

池は有旅大池という名前で、農業用のため池のようだ。この辺、ナビで見るとため池だらけみたい。山の中なんだけどな。昔からの大きな集落があるんだろうか。来る途中にも最新鋭の貯水タンクあったよ。

ここまで車を走らせてみた感じだと、どうやら古い街道筋のようで。家も大きめの古民家が並んでおり、ちょっとした宿場も備えている集落だったという雰囲気が漂う。

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思ったより普通の池で(まぁ大きいんだけど)、ちょっと普通すぎてガッカリした。池ごときに期待した自分が馬鹿だったわ。

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とりあえず、神社見ておこう。

 

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↑篠井神社。

入り口に説明板があった。

  • 創建年不明
  • 祭神は健御名方神
  • 建保2(1214)年、布施郷地頭の布施宗俊が社殿を再建
  • 永禄4(1561)年、茶臼山に布陣した武田信玄が戦勝祈願で神領を寄付
  • 旧社号は「諏訪大明神
  • 文政12(1829)年、氏子が旧荘園名の「篠井」を社号としたいと願い出たため、現在の名前になった
  • 明治6(1873)年、村社
  • 境内社金比羅さん、養蚕神社、太郎社
  • 記念堂がある(大正年間に茶臼山にあった古峯神社の社殿を買収、移築)

篠井庄という荘園があった(その範囲は数か村に及ぶらしい)ということで、それがこの辺りの地名「篠ノ井」の由来なのかもね。

二ツ柳神社付近に「石造多層塔」という謎の石塔があり、これは長野市文化財指定を受けているので案内板もあった。それによると「前部秋足という人は高麗の王族の末裔で、帰化している。改姓を朝廷に申し出た。篠井姓を賜り記念に石塔を造った」などと書いてあった。wiki読んだらさ、奈良時代末~平安初期に信濃国内に住む帰化高句麗(高麗)人の改姓が進められたとあって、延暦18(799)年に篠井姓を下賜された奴(前部秋足ら)もいた。そいつらが王族の末裔かどうかまでは書いてなかったわ。その帰化渡来人の篠井氏が治めた?から、篠ノ井になったんだろうか。

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延喜式には載ってないものの、それなりに古そうな神社ではある。

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でも、あまり見るものがなく…なんか暗いし、もういいかという感じになってしまった。有旅大池に期待して、裏切られた気持ちを引きずっているのかも。罪深い池だわ。

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↑有旅大池の記念碑。

  • 有旅大池、またの名を篠井池
  • 信里地区最大のため池、貯水量は6万㎥
  • 築造年代不明
  • 天文・永禄年間(1532~1570)に武田信玄が改修
  • 文化年間(1804~1818)に松代藩が改修
  • 大正年間(1912~1926)には更に補助池を3つ造る

そうか、この池結構凄いんだー。ガッカリしてごめんなさい。でも、ため池なのに造った時期が分からないとか、なんか笑っちゃうね。

この辺り、武田信玄所縁のお寺さんとかもあった。大きなため池以下、貯水池を色々増設し続けているぐらいだから、昔からの権力者がいたのかしらねー?

 

この他には、

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聖徳太子とか。

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よくわかんない石仏とかがいた。で、帰った。

帰り際、この石仏群の奥の広場に石碑みたいなのが見えたんだけど、なんだったのか。家でこの辺をストリートビューで見たところ。件の広場は重機が入ってた(2012年5月の日付)。何か造成してたみたい? 石碑は影も形もない。気になるー。でもしばらくはこっちまで来なさそうだー。

 

よく分からないと言えば。

ここまで来る途中に「大陸天」という石碑も見たぞ。中華系の怪しげな何かか? それとも失われた古代の邪教の神? と思うけど、石碑自体は古めかしい。多分、大昔の街道だった頃からありそうな様子だった。それもついでに調べたよ。

グーグルのコメントに大陸天=第六天じゃないかなどと書いてあった。ググってみると確かに大陸天で「だいろくてん」と読ませていることがあるらしい。第六天=第六天魔王織田信長が名乗っていたらしい。現人神として、自分を祭神にした神社造ったと聞いたことがあるなー。不思議なことに東日本にしか第六天の神社がないみたい(豊臣秀吉が西日本の第六天神社を破壊し尽くしたとかいう噂があるようだ)。第六天魔王織田信長が自称する以前からいたらしく、欲界(欲望にとらわれた世界)に住む六欲天の一番偉い人のことを指しているそうな。第六天魔王の名前は波旬といい、要は悪魔なんだと。仏教に悪魔が居て、その悪魔を祭っている神社なんてあるんだー。全然知らなかった。

あと、高札場の跡地もあったなー。

 

 

★☆☆☆☆

やっぱり池の風景がイマイチだったわ

 

<篠井神社>

創建年 不明

御祭神 健御名方神