お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

碓氷関所

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何年かぶりに県境を越えた気がする。群馬に来たのは本当に久しぶりだわ。群馬では何故か桜のような花が咲いていたよ。

目的地の近くに史跡があるというので見に行ってきた。碓氷関所という関所があったそうだ。

 

西国から江戸に向かう大きな街道としては、東海道中山道がある。私が買っている漫画の最新刊が出たばかりで、ちょうど内容が「和宮(偽物)が降嫁~徳川家茂の上洛が決定」だった。江戸に向かう和宮がここを通ったそうで、なんか個人的にタイムリーな場所だったわ。

この関所の歴史はかなり古く、昌泰2(899)年碓氷坂(碓氷峠)に設けられたものが始まりと言われているらしい。江戸時代には中山道という名前になっていたけど、それ以前は東山道という名前だったようだ。この街道のルートは時代により多少ずれがあるけど、大まかな道筋としては古代から現在まで変わらないらしい。中山道東山道も軽井沢~碓氷峠~坂本という並び方。

何かで聞いた話だと東山道の碓氷坂=入山峠と考えられており、これは現在の碓氷バイパスと大体同じルート。一方、江戸時代の中山道が通るのは碓氷峠で鉄道の旧信越本線と旧国道18号とほぼ同じルートだそう。

江戸時代の中山道は今でも生活道路として存在しており、舗装されているので車の通行も出来た。狭いけど。

 

碓氷関所は碓氷峠の頂上にあるとか勝手に思っていたけど、坂本宿と松井田宿の間にあって峠からは離れていたことを今日初めて知った。

 

関の位置も時代毎に変わったらしい。古代の関はどこだか分からないけど、正応2(1289)年には関長原(松井田町横川)に置かれていたそうで、今は山吹の郷という公園?になっているらしい。

江戸幕府が慶長6(1601)年に中山道の整備を開始し、7年かけて完成。ほぼ東山道のルートを踏襲しているようだ。現在の碓氷関所は元和9(1623)年に置かれ、江戸と京都を結ぶ2大街道(山側)の重要関所としてかなーり厳しく通行を監視したようだ。碓氷関所が置かれた後の享保元(1716)年に東山道は正式に中山道という名称に統一された。

 

東海道中山道は重要な街道で、その街道筋の関所の中でも東海道の「箱根」「新居」中山道の「福島」「碓氷」の4つを天下の四大関所と位置付けて厳しく通行人を取り締まったらしい。

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中山道路傍に立つ碓氷関所東門跡

↓中央:中山道 右:階段の上が関所の番小屋跡

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中山道の碓氷関の東側・西側それぞれ門があったらしい。東門が安中藩管理、西門が幕府管理。番所は階段の上にあったようだ。

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階段を上がってみた。

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↑東門。移築されたらしい。本来はさっき見た中山道の道路上にあった門。

門柱・扉・台石と屋根の一部は当時の物で、それら以外は造って昭和34(1959)年に復元されたそうな。

西門は所在不明(廃関されたあとの記録なし)。

 

番所の小屋などの配置はこんな↓らしい。

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東門と西門の間(関所内)は52間2尺(約95m)。結構広い。関所で働く役人達の住まいもここにあったみたい。役人の定員は14名で、役人の家族や雑用係で採用した一般人もここに住まわせていたような感じ。意外と賑やかだったんだー。

役人は安中藩からの派遣と代々定住している現業の同心と門番で構成されていた。幕府管理の西門番は代々の定住者らしい。安中藩管理の東門番は近隣から採用した人が担当。

 

安中藩譜代大名が藩主家になっている重要な藩だったらしい。あと日本初のマラソン大会を開催した藩らしい。勝新太郎出演の映画「まらそん侍」っていうの、ごく稀にCSで放送したりしてて名前だけ知ってたんだけど、あれは安中藩の話だったらしいわ。

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ここが紛う事なき関所跡だったんだけども、↓こっちも少し気になっちゃってねー。

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子供も登ってみたくなったらしく騒いだが、嫌な予感が。

まあでも行くかと子供に引っ張られて登らされた。

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先に何があるのか分からないまま。

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石垣があるぞー。

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祠があり、行き止まりー。

  • 以前は関所八幡社があった
  • 同心家の古文書には関所内に八幡社、稲荷社があったという記録あり
  • 建立された時期は不明
  • 壊れた円筒形の石塔があり、ここには延享4(1747)年奉納とある
  • 明治2(1869)年の碓氷関所廃止と同時に八幡社・稲荷社はお移りになった
  • どこに移ったかは分からず
  • 大正8(1919)年、地元民が新たに御稲荷さんを祭った

ということで、関所の西門の件と言い、廃止時にかなりの混乱があったように感じた。

 

お参りをしたので降りようとしたら、やはり子供が「怖くて降りられない」などと言い出す。高いところが好きなのは知ってるけどさー後先考えろよーと思いつつ、抱えて下まで降りる羽目になり。復元東門の辺りにいたボランティアガイドのお爺さんが我々の様子をずっと見ていたようで、「大変ですねえ」と苦笑された。

関所跡の敷地には資料館もあり、そこでお話をうかがうと上の社は関所の守り神だったそうだ。通行手形のコピーやら子供にちょっとしたお土産もいただき随分良くしていただいた。

通行手形は発行先と台帳があり、毎回役人が確認するんだそう。文章は手書きでテンプレがあり、細かい言い回しは変えてもよいらしい。内容がどうのと吟味するわけではなく、通行手形のハンコが偽造されていないかの確認は絶対していたという。

 

天下の四大関所だけあって、通行人は立場がかなり弱そう。

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ほぼ土下座でお願いするみたい。

いただいた通行手形のコピーは松代藩士のものだったけど、歴としたお侍さんも手をついて通ったのかしら…大変ねー。

 

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ここにきたのは、これ↑のせい。

子供は昔からトーマス>アンパンマンだったので喜ぶだろうかと連れてきたら。園内ではひたすら葉っぱ拾っていやがる。そして群馬県内かつ隣に国道18号が走っているせいで、近くの道路には格好いい自動車を良く見かけた。子供もトラックやスポーツカーばかり気にしていたわ。

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この機関車は古い物ではなく平成10(1998)年生まれみたい。ウィルソン・エンジニアリングというイギリスの会社が手がけた機関車で、その会社はナローゲージ用ミニチュア機関車と客車の製造メーカーだったみたい。観光用の動く機関車を主に製造していたようだ。ブレ渓谷鉄道というイギリスの国立公園内の鉄道でウィルソンエンジニアリング製機関車の多くが元気に走っているとwikiで読んだ。ウィルソン・エンジニアリングは1980年代半ばに設立、2001年倒産。

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子供を乗せてみたところ。初めて乗る乗り物なので、ひたすら固まっていた。レトロ感が売りだろう、乗り心地はあまり良くなかった。車輪からの振動がお尻にダイレクトにくるんだよ。

 

敷地内にはたくさんの列車が置かれていた。

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一番気に入ったのがコレ↑

除雪用ディーゼル機関車。北海道で走ってた機関車で、高出力仕様。全国でも3機しか造られていないと書いてあった。投雪で民家や電柱などを壊してしまい、里を離れて山へ追いやられてしまった可哀想な奴。私パワー系好きなの。ジェットエンジン積んだ機関車も存在していたことがあった(試作で終わった)みたいだし、プロペラついたメチャ速い列車もトーマスに出てきたよ(アレ実在したらしい、写真で見たことがある)。今の人はパワー系嫌いなのかねー? かっこいいのに。

子供は静態保存の物に興味なし。後で鉄道博物館に子連れで行った知り合いと話したら、鉄道博物館内の展示車両より隣の駅に入ってくる動く列車の方が喜んでいたよ…と言っていた。やはり子供は動いているものの方が良かったみたいだ。

 

10年以上前にも来たことがあったけど、その当時は内部も公開していたのに(機関車内部の謎の機械類を見て喜んだ記憶がある)、今は全部鍵かかってた。見たかったな、謎の機械。

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帰り道、せっかくなので中山道を少し走ってみたよ。一車線幅の道路だった。神社があった。

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↑碓氷神社

と入り口の案内板に書かれていた。御祭神はやけに多いのは、合祀されたためだったのか。

 

 

★★★☆☆

江戸時代の有名な関所だったけど、ほとんど解体されていた

 

 

<碓氷関所>

設置年 元和9(1623)年