朝日将軍といえば木曽義仲である。そしてここは朝日山の近く、木曽殿屋敷と呼ばれるお城跡がある。
ここに古いお屋敷があったことは間違いないらしい。木曽義仲縁者のお屋敷だとか、守護の小笠原氏の館じゃないかとか、ここから歩いて10分ほどにある朝日城城主の朝日氏居館だとか、色々な説を読んだものの確定的な説は未だになし。だいたいいつ頃に使われたのか具体的な時期も分からない、謎のお城ということになっている。
「木曽殿屋敷」というのは、朝日つながりでとりあえず木曽義仲にしとこう、というノリで生まれた短絡的な伝説なのかもしれない。というか、ほぼ関係ないらしい。だいたい、木曽氏の本拠地からかなり離れてる。現代でも高速使って2時間くらいかかるんじゃないの? 遠いよ。遠すぎてこの場所まで支配権が及んでいたとは思えない。ホラ吹くにしても、もっともらしい根拠も一緒に作ってほしいものだ。
高台にあるせいか、とても景色がいい。眼下に広がる町並み。「人がゴミのようだ」と呟きたい権力者志向を持った人向きのお屋敷かもしれない。
お屋敷跡と言われる場所は現在果樹園になっている。平地・土塁をそのまま利用しているようで、地形がそのまま残っていた。堀はよく分からなかったが、道として埋め立てたのかな。
あらら違うみたいだな。
果樹園の奥の一段高い場所。あれはなんなのか。どう見ても人工的すぎて怪しい。
誰の屋敷だったのやら。
★★☆☆☆
人工物くささはプンプンするけれども、ここは私有地、立ち入り禁止。あの一段高い場所が気になる。
<木曽殿屋敷>
築城年 不明
築城主 不明
構造 平山城
近くの神社。「諏訪神社」といい、この地区の住民の氏神様だそうな。創建年は不明だが、天文24(1555)年に焼失、武田氏が神社領を安堵し再建と記録が残っているのでそれ以前からあったらしい。
探すの面倒くさくなったのでそのままだが、神社の境内に古墳があるそうだ。古代人の住みたい場所の条件が
・川がある
・洪水などの影響を受けない山が川の近くにある
と聞いたことがあるので、この辺りぴったりじゃないのーと思った。