お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

三才田子遺跡

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一応、三才田子遺跡という名前がつけられている辺り。

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↑こんな名前の川がある。

現在「北部スポーツ・レクリエーションパーク」という施設が建っている場所を籠沢遺跡というらしい。平成26(2014)年に出来たばかりだそうで、この運動公園近辺は道も新しくなっている。

北部スポーツ・レクリエーションパーク建設に先立って平成20(2008)年~平成23(2011)年に発掘調査が行われたとか。成果はかなりあったようだ。住居跡が170軒とか…ムラって感じではなく、街じゃないのー? 発掘調査の後は公園になってしまって看板もなく、今はその辺の親子がスケボーとかやっているような場所に。

三才田子遺跡の方は籠沢遺跡よりも古くから知られている遺跡だけど、きちんとした調査はこれからかも? なのかな。だけど、その調査も出来ないかもしれない。

遺跡の真ん中に↓こんなやつ走っていたりして、発掘が難しいと。

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奈良の平城京跡みたいだよねー。線路に分断されてる。

昭和42(1967)年~昭和43(1968)年と平成27(2015)年に発掘調査をしているようだが、籠沢遺跡のようにじっくり発掘できなかったみたい。

籠沢遺跡は住宅地跡だったようだが、三才田子遺跡は東山道支道・多古駅家跡説が根強い。近くに三才駅もあるしね。駅造りやすい地形なのかもー?

 

駅路と駅家

  • 律令制度下における官道(駅路)の施設で兵部省の管轄、原則30(役16km)毎設置
  • 地形関係なく、中央(都)から放射状かつ直線的に伸びる駅路沿いに駅家が置かれた
  • 駅路は都と太宰府五畿七道のすべての国府を結ぶ道路網、6m~30mの幅で広い、公式文書のやりとり(朝廷の命令・地方の報告)や緊急時の連絡用として整備
  • 駅家は駅馬を置き、駅使(乗馬が許された公的な使者)や駅鈴(朝廷から地方出張を命じられた官人に支給されるもの)を持つ役人などに馬や食料、宿泊所を提供する施設
  • 運営は地元民、駅戸と呼ばれる駅家関係の仕事に従事する義務を負った特定の農民、駅戸の中でも経験豊富・財力豊富な者が駅長になった
  • 運営費は駅起田から収穫された駅起稲、駅戸が駅起田を耕作する義務を負う
  • 駅起稲は天平11(739)年に正税(国・地方の公的な倉庫である正倉に保管される稲、租税とその利息分で構成される)として一本化されたが上手くいかず、天平宝字元(757)年には駅稲として正税から独立する
  • 10世紀頃まで存続したが、律令制の崩壊とともに使われなくなる
  • 直線であることを重視し造った道路のため人里離れた山の中を通っていたりする→集落を結ぶ生活道路ではなかったので役人ぐらいしか通らない→役人すら通らないなら誰も通らない→整備する必要がないので藪に埋もれる→消える

こういう状況なので、古代道路(駅路)の具体的なルートはあまりよく分かっていないらしい。平成24(2012)年長野市内で発掘されたコインが平成29(2017)年の調査で和同開珎だと判明し、発掘地点=北陸道連絡路跡じゃないかと報道されたらしく、うちの家族(発掘好き)が嬉しそうに話していた。その地点は古代牧が置かれていた辺りなので全部が全部人里離れた場所というわけではなさそうな。一部は人知れず今でも使われていそう。使われているので掘れない、特定も出来ないみたいな。

駅家跡もいくらか特定されているらしい。ただし、郡衙(郡司のいる公的施設・正倉がある)と兼ねていたり、駅長やってる人の私邸を駅家として使っていたりで確実に特定できるものが少ないらしい。

駅家が全部特定されればルートも分かるのになー。

 

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子供が電車を見たいというので、ついでに三才駅まで行った。

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駅長の帽子が置かれていたので被せたところ、もの凄い嫌がられた。気に入らなかったらしい。女児用も微妙。「おい早く電車を見せろ」とうるさく、しかもついさっき見送ったばかりで。田舎なので電車は頻繁に来ない。そう説明したところ、不機嫌がマックスに。帰途につきました。

 

 

★★☆☆☆

昔はたくさんの人が住んでいたような場所らしいが、現在は果樹園メイン

 

 

<三才田子遺跡>

弥生時代中期以降