お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

矢島城(北林城)

「村上連珠砦」と呼ばれる太郎山周辺の砦群のうち、市街地から近い場所にある。上田駅から車で15分ほど。

「太郎山山系を楽しくつくる会」というボランティア団体があり、主に太郎山の登山道整備をしているらしい。この辺、大量の城跡があるのでついでにお城のガイドマップ作成や城跡の整備もしているようだ。村上連珠砦とは通称のようだ。全部で20ほどかたまっているので、いくつかの城を巡って縦走するルートも作ったり…さすが上田を代表する里山だ。気合いが入っている。

 

ちなみに太郎山はこれかな? 違うのかな?

名前はよく聞くけど登ったこともないし分からん。この近くに太郎山登山道があった。

 

入り口は崖沿いだった。眼下には虚空蔵沢が流れている。

「長野縣町村誌」によると、北林城(別名 矢島城)は

  • 東西30間、南北20間
  • 北側に堀切あり
  • 東西南は急峻
  • 城の来歴不明

とあった。また、これの近くに「館」という字があったらしい。

 

矢島屋敷跡がある。「緑ヶ丘西の館」という名前の館がコレじゃないかな? そして、この辺りが古地図にある字「館」だと思う。矢島城からそんなに離れていない。

 

また、長野縣町村誌はこの辺りの領主が諏訪氏→小泉氏(泉氏)→武田氏→織田氏→真田氏→(上田藩 成立)→仙石氏→松平氏という変遷を載せているものの、「矢島」「北林」という名前に関しては一切なかったよ。

最初の領主が諏訪氏ということは確かなようで、この辺りには諏訪・須波という名前がいくつも残っている。

諏訪氏から分かれた矢島氏という一族がいて、上社権祝家という格付けの、諏訪一族内でも高位のおうちらしい。その矢島氏がこの地にも土着したようだ。また、「大塔物語」の中に出てくる海野宮内少輔幸義という人物が大塔合戦(1400)に家来の「中村弥平四郎、会田岩下、大草、飛賀野、田沢、塔原、深井、土肥、矢島以下」を連れて参戦しており、ここに出てくる矢島という一族が矢島城主と言われている。

ちなみに矢島氏系図によると、矢島氏の祖は八嶋三郎継重という人。この人に男子がなかったため海野幸親の子を娘婿にし跡を継がせたとあった(八嶋太郎継貴)。継貴の子(矢島四郎行重)が武勇に優れており名乗りを矢島と改めたとか。海野氏とは遠縁に当たるようだ。

矢島氏系図には冒頭には書かれている事。

健御名方神の子・池生若御子(池生命)の子孫で、大神(天照大御神か?)の祭祀を司るという

数代を経ているというが、その間不詳

神若丸から12代を数え天永2(1111)年、磯並邊に籠り祝職を継ぐ

諏訪郡境村(現 富士見町境)の池之袋に鎮座する池生神(池生神社)の由緒に権祝神氏(矢島氏)の祖とある

 

また鎌倉幕府に近い海野氏から婿を迎え鎌倉幕府にも出仕しているので、どちらかというと諏訪氏と北条氏を繋ぐ一族かもしれないと思った。現に、諏訪氏鎌倉幕府最後の当主を養育し、旧鎌倉幕府軍として反乱を起こす(中先代の乱

 

ちなみに磯並邊=磯並(いそならべ)社のことと思われる。磯並社は諏訪大社上社にあり、上社の重要な神事には全て絡むという重要な社である。一説には前宮成立以前の磐座信仰の遺跡とも言われている

矢島氏が「大神の祭祀を司る」とは、朝廷からの勅使を持てなしを担当していたと思われる風祝職を権祝 矢島氏が担当していたとするので、個人的には「天照大御神(朝廷)関係全般を担当してたんだろうな」と勝手に思っている次第です…

 

 

矢島城の別名「北林城」は矢島氏の前の領主だった北林氏に由来すると言われている。元々諏訪氏の領地とあったが、北林氏は諏訪一族なのだろうか…? 北林氏に関しては情報がなく分からず…。矢島氏に追われて、善光寺平へ移動したとかいうが、どうだろうね。矢島氏のせいで一家離散しちゃったかなー?

降りてみる。ここまでの雰囲気、公園ぽいが果たして…?

 

階段の途中に、こんなものが。堀切である。

傍らの案内板を見る限り、非常に素朴なお城である。ほぼココの部分しか堀と土塁がないようだ。まあ、北側以外を急峻な崖で囲まれているため北側の防御のみ厚くしたとも言える感じ。

堀切。

土塁。

 

見所は以上である。先に進む。

道の先は畑であった。畑は本郭にあたる。

土塁には石積もあった。

土塁には五輪塔もあった。矢島氏の供養塔なのか、ひょっとしたら北林氏や他の一族のためのものか?

本郭の先には二の郭もあるはずだが、さすがに畑の中を勝手に通れないわ。手入れしてある畑だしな。

五輪塔もお城と同じく素朴な雰囲気である。お稲荷さんは賑やかだった。

由緒正しいお稲荷さんなんだろうか?

ベンチがあった。

お稲荷さんがある場所は本郭の中でも少し高くなっているようだ。

お詣りする人が多いのか、畑の片隅にあるわりには奉納されている狐さんが異様に多かった。コマ狐も立派である。

稲荷社の横はやはり急斜面となっており、随分低い位置に畑があった。

川(沢)が近いせいか、蚊が凄いんだよ!

多分、このお城自体は相当古いと思う。矢島氏は鎌倉幕府成立と同時期に出来た一族だが、お城も同じような平安時代末期の雰囲気する。古いお城ほど、低い場所にあるイメージなのよね。

畑の中に入るの躊躇して無理だから、できるだけ写真撮った。

帰ります。

北側の堀は、底から見たときはさほどでもない…と思ったが、上から見れば結構な深さだった。

ほぼ唯一の、と言っていい位の北側堀切だけど。ここだけは異様に深いんだよねー戦国時代に改修したのかなー? 

あと、虚空蔵沢側から見た矢島城ですが。

崖の上でした。手を加えなくても十分に硬そうなお城よね。

 

 

★☆☆☆☆

防御硬そうとはいえ、やっぱり規模も小さく地味で蚊も多かった

 

 

<矢島城(北林城)>

築城年 不明

築城主 北林氏? 矢島氏?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、わざわざ上田に行ったのはクレーン車を見に行ったためだった。

上田駅から車で15分足らず…私は上田駅に用があったのだ。

車両の移動を途中から見てたよ!

  1. つり上げる車両が動かないように、ジャッキで固定
  2. 安全確認後、つり上げの準備、足回り下に2カ所スリングを渡す
  3. クレーンを車体上へ移動させる
  4. 一カ所づつスリングをクレーンのワイヤに繋げて固定
  5. 傾いた車体を1度刻みで直していく(カウントしていたから角度を測る器械を使っていたようだ)
  6. ジャッキの様子をチェック→ジャッキが外れそうなら外す
  7. 車輪を元のレールの上に載せる
  8. ジャッキを全て外れるまで頑張る
  9. ジャッキが外れたら、車体を少しづつ持ち上げる
  10. ずれないことを確認したのち、ゆっくりと隣のレールまで横移動させる
  11. 車輪を1個づつレールに下ろし、接地を確認する
  12. すべての車輪を下ろしたら手歯止めする

3以降で40分くらい? 1時間はかからなかったかな。

当たり前だけど、電車の上の架線も外してあった。

少し雨も降ったりしていたようだが、普通に作業していた。

あと、落ちていた車両は見事なほど脱線していたわ。赤ちゃんがプラレールで遊んでいる時みたいに、驚くほどレールと車輪が噛み合ってない。

 

レッカー車は2台来ていて、ニュースによれば新潟県からお越しらしい。港湾作業用とかかなー? と思ったが。クレーン車レンタルの会社のものであって新潟港とかにいるヤツじゃないらしい。100tのオールテレーンクレーンというものなのか。公道も走れるそうだ。

それよりコイツら高速乗れるのか、公道走るにしても新潟からって山越えるんだろうがどうやって行き来するんだろう? クネクネ山道も大丈夫な小回りきくのかな?

大きなトレーラー車もいたよ。眼福。

 

日本国内で数台しかいないという世界最大級の1600t吊れるクレーンも見たことがあるけど、凄かったな。1600tのクレーンを組み立てる為に500tクレーンが必要、500tクレーンを組み立てる為に100tクレーンが必要、そして部材を運ぶためにトレーラー約90台が必要…。クレーンを組み立てるだけで2週間かかるらしい。クレーン車の世界も奥深く、とりあえず玉掛の免許取得からやってみたいなと思ってしまった。