久しぶりに天気が良く、買い物ついでに散歩した。松代城の外堀がどうなっているのかとやってきたものの。
↓工事が開始された様子はない。
歩いているうちに松代駅だった建物まで来てしまった。
うちに転がっていた「ありがとう屋代線」のラベルが貼ってあるワンカップ瓶によれば、廃線は平成24(2012)年のことだったらしい。つい6年前まで動いてた。よく走らせてたよなあ。と思うほど利用者がいない路線だった。
線路の下に埋まっている外堀を復元しようと、外堀だった辺りも国の史跡に指定してもらい、調査を行ったらしい。
遠目から見ても古い。駅は取り壊さないらしく、そのまま。
ホームによじ登り進入。
初めて知ったけど、これは。
ほんの6年前までこんな電気配線が生きてたなんて…。ボロというか骨董品だったのか。
電球は戦前・戦時中みたいなソケットだったらしい。縁日とかお祭りの仮設街灯の電球より酷いんじゃないのかねー?
二条城本丸御殿の電気設備を思い出したわ。あちらの方がずっとお金かけていただろうと思うので、スイッチひとつでも何かモダンなかおりを漂わせていたがねー。本丸御殿は旧桂宮邸の御殿を明治26(1893)年~明治27(1894)年にかけて移築したもの、だそうな。ちょうど明治25(1892)年に京都で「蹴上発電所」という水力発電所が完成しているので、移築したときに電燈やらも付けたのかも?
旧松代駅舎の設備は本丸御殿よりずっと後だろうけども、どう見ても戦前のモノという感じがするわ。
↑打ち捨てられたポイント達。鉄くずリサイクル用にもならないのか。
ポイントぐらいしか鉄道っぽいものがなかった。駅事務室も空。
外へ。
↓開業当時の駅舎の図
廃業当時の姿と全く変わってないわね。
駅舎の歴史が待合室に掲げられていた。
・大正11(1922)年開業、屋代線の中心駅
・大正モダンな洋風建築
「見栄え」を意識している、よく見ないと分からないほど細かい部分のデザインまで丁寧に考えられている
・屋根の種類が多い
部位によって、菱葺き・瓦棒葺き・平葺きと変えている
・ホーム部分は木造トラス構造
近代的な骨組み
この路線が電化したのが大正15(1926)年らしいので、電気配線も後付けなのかなー? 長野市内だと明治31(1898)年に茂菅発電所が出来、供給を開始している。が、この場所からは遠いので、多分すぐには電気が来なかったのかもねー。
★★☆☆☆
古い電気配線見たのは5年位前に旧塩原御用邸に出かけた以来で、少し興奮した
<旧松代駅舎>
建築年 大正11(1922)年
↑塩原御用邸のモダンなスイッチ
あと、このお屋敷の御便所の便器は黒漆塗りだった、という旅行メモが残っていた。