本日は列車で小海町まで来た。
「HYBRID TRAIN」とデカデカと車体に書かれている。なにやら世界初のハイブリッド列車だそう。初めて乗ったわ。確かに走り出す時の音がプリウスのそれと似ている気がした。気動車といえばJR四国の2000GT(2000系ガスタービン)しか思い出せない程度に興味ない。
この辺りは車で通り過ぎたことはあるけど、ウロついたことはない。小海駅は終点だったし、小海線の中心駅と思いきや。とんだ駅だった。
通路がこんなだし。戦前みたいな。今時、線路をそのまま渡るような駅があるとは思わず、「えっココ渡っていいの…?」と戸惑う。そんな様子の乗客は私の他にもいたよ。
小海トンネル…。
もらってきた。
これだけの用事で2時間くらいかけてやってきたのですが。
2時間もかけてきたので帰るには勿体なく、少し歩くことにした。
途中、秩父事件戦死者の墓という表示があった。
明治17(1884)年に埼玉(秩父)の農民が武装蜂起し長野のここまできたけど、政府軍に鎮圧された事件らしい。関心がないです…。
目指したのは↑この高台。宮の上というらしい。現在は小海高校がある。
遠目から見ると、高台だが広そうな雰囲気。
台地の周りには本間川という川が流れていた。
結構な急坂。
崖の方には馬頭観音らしき石仏がちらほら見えてきた。古い街道なのだろうか。
この馬頭観音は新しそうだよ。
随分高くまできた。
小海高校に到着。
小海高校の敷地は昔、武田信玄がよく利用した宿営地だと言われている。かなり広い場所だが、跡は残っていないらしい。お城を作ったという話はなさそうだが、たびたびここでキャンプしていたのなら、ちょっろした施設はあったかもね。
件のカードにも武田信玄の話が出ていた。
佐久甲州街道というのが、現在の国道141号線。「宮の上」がある台地の直下を通過している(さっき通ってきた)。
小海高校のある場所は平らだが、端はびっくりするほど高い崖。
先の方は、ちょうど砂時計の中央のくびれた所みたいに狭まっている。その両側には山が迫っている。交通の要衝だと思う。当然ながら、両方の山の上にはお城がある。
対岸の崖下を、さっき乗ってきたハイブリット電車が通っていった。
小海高校の敷地を通り過ぎた。
この先は広い場所はなさそう。宮の上のキャンプ跡地もこの辺りまでなのかなー?
宮の上の北側には本間城というお城がある。
この先は畑に民家が点在する里山のように見える。
更に先に進んでいくと、神社が見えてきた。
神社っぽいので、ここから登った。
鳥居がない? と思ったら脇道から入ってしまったらしい。
宮上諏訪神社だった。
- 祭神は健御名方命、八坂刃売命、事代主命
- 創建は応和年間(961~963)諏訪より勧請
- しかしながら、天正年間(1573~1585)の火災により、宝物・日記など一切を焼失
- 文政13(1830)年、本間・宮下・本間川・馬流・鎰掛の5か村の総社として現社殿の建設を決め、お金を募り天保7(1836)年に竣工
- 大工の棟梁は清水惣兵衛重貴(その他の職人達の名前と出身地が書かれている)
- 天保期の立川流彫刻の代表的な神社建築の一つである
1000年以上の歴史を持つ神社であるようだ。
境内には大きなお社が2、祠は境内にいくつも点在していた。本殿はこちら↓のようだ。
健御名方神夫妻を祀っているのかな?
もう一つお社がある。
こちらは事代主命を祀っているのかな? 案内板もなく分からなかった。
祠の裏側は道っぽい?
今度は参道から降り、さよならした。
ふとガードレールの下を見れば、何かあった。
道? 九十九折りの坂道を下がり、見上げたところ確かに道だった。
古い参道が微妙に残っていたらしい。新しい舗装路に分断されているが、参道はまだ続いていた。
これを下ると国道141号線の方へ、崖下まですぐ降りることが出来た。
凄く綺麗な山が見えた。富士山か? と一瞬思ったけど。方角から考えると浅間山だと思う…私は富士山が見たかった。今歩いているこの道が佐久甲州街道の旧道みたい。昔の人々もここで浅間山見て「おおー」とか歓声上げてたのかなー?
★★☆☆☆
眺めが良い、気持ちの良い宿営地だった