坂木陣屋の焼失後、安永7(1778)年にこちらに陣屋を誘致した。
跡地には何もない。
中心地はここ↑なのかなー? 中之条陣屋の説明板があったよ。
- 中之条陣屋は江戸幕府の直轄地の支配所である
- 宝暦4(1754)年、坂木陣屋は中野へ移動し、出張陣屋となる
- 同年九月には出張陣屋も廃止
- 明和8(1771)年、中之条に御用場(仮陣屋)が置かれる、支配地は32ヶ村
- 仮陣屋は整備され、安永8(1779)に本陣屋となる
- 増改築がなされて天保11(1840)年には敷地面積約155坪(512.4㎡)に
- 敷地内には、御門・御本陣・御白州・役宅・仮牢その他の施設があった
- 支配地は佐久、小県、埴科、筑摩、水内、高井の六郡にあって、約5万石
- 慶応4(1868)年に明治政府により廃止された
この説明板には所有者の名前も挙げられていた。宅地化されて、遺構はないらしい。
とりあえずザックリ歩いてみるか、と路地を進む。
事前情報で「井戸が残っている」とあったが。井戸は2つほど見つかる…。
↑この薮の中にも井戸らしきものがあったよ。でもネットで見た「井戸」はこれらじゃなかった。
↑古そうな土蔵。この辺りは物凄く古そうな建物・戦後から昭和末期に建てた感じの建物・新築が入り乱れており、カオスだった。
ひとしきり歩いてみて、本当に何もないことが分かると。
国道を挟んで向こうのコレ↑を見に行った。
文化の館というらしい。
施設内の図を見ると、公民館みたいな機能の建物? と思った。
ここはシルバー人材センターの基地にもなっているようで、駐車場には事業用軽トラが数台置かれていた。
仰々しい門からは出入り出来ず、裏手から入る感じ。建物数は余り多くない。土蔵と母屋と離れの3つだけ。庭も広くはなかった。
野点場とあったが、新型コロナのせいか茶会開いていなさそう。使われている形跡がない。文化の館の建物内にも茶室と水屋があるようで、屋内でもお茶ができるみたい。庭園があるので茶道メインで使おうという施設なのか。
庭園は綺麗に維持されている。
この庭に面した部屋が茶室のようだ。
なんか誰もいなかったわ。
離れ?
使われてないようだ。
立派な門の裏側↑
土蔵もひっそり。
★☆☆☆☆
中之条陣屋周辺も人いなかった。住宅密集地なので散策するには勇気が必要かもしれない(驚くほど狭いので車来たら避けるの大変そう)。
<中之条陣屋>
築城年 明和8(1771)年
築城主 江戸幕府
家族がこれ↑の話を振ってきて、このゲームやってないけど(数ヶ月前にサービス終了のお知らせを見た作品だわ)似たようなモノをやっているのでちょっと興味があって見に行った。
至る所に謎の美少女がおり、「誰だよこいつ」「私の知っている○○はこんなヤツじゃない」とか思っていたわ。
元々この施設は刀工で人間国宝の宮入行平さんを顕彰する記念館、刀の作り方や作品展などやっている展示館のようだ。宮入行平さんの甥が燭台切光忠の写しをつくった宮入法廣さんだそうで。
あんまり刀と関係ないけど、某テレビドラマのパブリックドメインとして使われていた「津田助広」の元ネタが刀工名だと知り満足した。
刀を見てたら、本当に「一本欲しいな…」と真剣に思った。写しだけどちゃんと斬れる真剣なんだよねえ。見終わったあとにソハヤノツルキと三日月宗近のクリアファイルを買った。
今度は燭台切光忠の写しを出張展示してくれると嬉しいな…(子供がみっちゃん推し)。
そういえば、山浦環さんこと源清麿も長野県出身だった。
坂城町出身じゃないけどさ。