このあたりに和田城があったという伝承があるらしい。
(↑ 下が北)
ほぼ完全に破壊されているうえに、位置も分からなくなってしまっている。野球場のだいたい南東ぐらいだろうとされている。
城跡と言われている辺りへ↓
水路と日本庭園があったが、関係あるのかないのか。それすらも分からず仕舞い。
ここ東和田の運動公園は昭和41(1966)年開園。相当古い公園だが、中学生時代は新人戦だの北信越大会だのここでやっていたので馴染み深い。小さい頃はプールにも通ってたらしいし。
この運動公園ができる前は、まだ遺構が残っていたらしい。日本庭園は公園の開園より後で、昭和56(1981)年完成と書いてあった。それなら和田城跡とは関係なさそうだ。
小堀遠州の流れを云々…のお庭。小堀遠州は人名で、豊臣家→徳川家に仕えた大名兼文化人だそうな。備中松山城の城主をやってたこともあった武将だが、古田織部の弟子であって茶道等文化活動のほうで有名になった人らしい。
和田城はこの地を支配していた宮下周防守という人が築いたと言われている。その後宮下さんは村上さんの家来になった。天文22(1553)年に村上義清さんの越後亡命のあと、宮下さんは(たぶん和田城を廃城にし)帰農したそうな。宮下さんの居館である中越館も現在遺構はない。場所は北長野駅で、線路引くために遺構は全部壊したそうだ。
★☆☆☆☆
ただの運動公園。
<和田城>
築城年 不明
築城主 宮下氏
構造 山城