所用で安曇野市に行った。用事は1時間程度で終わるので、せっかくなのでお城跡を見に行くことにした。
超いい天気。アルプスが青空に映えますね。
ボチボチ歩いていくと、目的地に到着。
ここが吉野町館跡(現在は田)。
堀? いや微妙。
遺構らしきものはほぼないようだ。
隣接する民家との境の道。田んぼ側は土塁のようなものが残っている。
田んぼ周りをぐるっとしてみる。
それらしいといえばそれらしいが。一応、ここが「吉野町館跡」を示すものがある。
安曇野市のお墨付き。
こうやって見ると、時代劇によく出てくる風景っぽい。安曇野では、この門構えのお宅をよく見かけた。
吉野町館。安曇野市が設置した説明板によれば、だいたい次の通りである。
戦国時代末期、天正壬午の乱で徳川氏の支援を受けた小笠原貞慶が松本深志城を奪還することに成功。この貞慶から吉野を本領安堵された丸山(日岐)丹波守が館を建設。
丸山、日岐…どこかで聞いたと思ったら、武水別神社 松田館の、武水別神社の松田館の主・松田盛直の旧姓だ。天正壬午の乱では小笠原貞慶が日岐大城の日岐盛直・盛武兄弟を攻めてお城を落としている。もともと上杉の家来だった兄弟だが、兄の盛直は上杉家を頼り北信へ落ち延びる。弟の盛武は小笠原家に降伏し仕えることになった。この盛武が吉野町館を建てたようだ。
しかし天正18(1590)年に国替えとなった主君の小笠原貞慶に従い、この地をさっている。盛武さんはここに10年も住めなかったようだ(せっかく建てたのに、もったいない)。吉野町館は日岐家の家臣だった熊井氏が居住することとなる。熊井氏は今も本郭跡近くに住んでいるんだそうな。
吉野館跡近くの小さな神社。立派な木(樹齢600年という話、でも枯れたくさい)もあり、風格が漂う。神社の名前は「熊野権現社」。熊井氏が祭祀を執り行っている氏神様だそう。
★☆☆☆☆
残念ながら遺構が…。本郭跡の周りにあるおうちの門構えが立派だった。時代劇に出てくる代官所のような。周りのおうちも見ごたえある古いもの。
<吉野町館>
築城年 天正11(1583)年
築城主 日岐(丸山)盛武
構造 平城