お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

長谷寺

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行ってきた↑ 日本三大長谷寺のひとつだそうな。

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物凄く古いお寺さんで、仁王門までの真っ直ぐな参道があって。古そうな杉並木の区間もあり、雰囲気は非常に良かった。仁王門は安永4(1775)年に造られているそうだ。この門の近くに車を置いて、付近を散策するお爺さんも居た。ココだけでも相当雰囲気いいしねー。本来なら仁王門をくぐってゆっくり本堂へ向かうべきなんだろうけど…面倒だから車で上まで行っちゃったよ。

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↑本堂下の階段に来た。

「南無大悲観世音菩薩」と書かれた石柱があるが、このお寺の御本尊は十一面観音。平安時代に造られたとあった。秘仏なので見ることは出来なさそう。

階段を上ると、こんなのがあった↓

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霊場御砂踏場とあった。なんと全国260カ所の観音霊場から小石を持ってきて、この場所に埋めてあるという。踏んでお参りすると、そのまま260カ所の霊場でお参りしたことになってしまう優れもの。

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御砂踏場からまた階段を上っていくと、鐘楼門があった。享和2(1802)年に造営。平成18(2006)年に改修されており、確かに古さをあまり感じない。

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↑こちらは本堂。

 

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観音堂、こちらも平成18(2006)年に改修されており綺麗。元の建物は正徳3(1713)年に再建されたみたい。

 

そもそもこのお寺さんは舒明天皇9(637)年創建と伝わり、なんと善光寺の創建年と伝わる皇極天皇3(644)年より古い。奈良の長谷寺から十一面観音を勧請し、お寺が出来たらしい。ちなみに、奈良の長谷寺は寺伝では朱鳥元(686)年、実際は奈良時代(710~794)の前半に創建と推定されているらしい。勧請先のお寺さんより創建年が古いとか意味不明。

 

創建の経緯として

  • 允恭天皇の子孫で白助という男がいた
  • 彼の祖父の代に信濃に移り住み(流刑?)、以降一族は貧乏暮らし
  • また白助は両親を早くに亡くしている
  • 白助は両親の供養のため、千日間清めの湯を沸かす&卒塔婆を千本造るという誓いを立て、それを達成させた
  • しかし、供養の方法が分からず善光寺に7日間通い祈ると、僧が現れ供養を請け負ってくれた
  • 僧は「奈良の長谷寺に行け、そこで現世と来世の幸福などを祈ってこい」といい、千日沸かし続けた風呂に入ると阿弥陀如来に変化→いい匂いを残して消える
  • 白助は言われた通りに奈良へ行くが、長谷寺がない(まだ出来ていなかった)
  • 仕方なく山の中に入り込むと光を放つ場所があったので、そこに留まり3年間祈りを捧げたりした
  • すると十一面観音が少年を従えて現れる、少年は「この観音様を崇拝すれば願いは叶う、明日山を下りて最初に出会う女を妻にしろ」といって消えた
  • 白助は夢から覚め、すぐ山を下りたところで少年を連れた女と出会う
  • 訳を話して求婚すると、女は二つ返事でOK、そのまま故郷の信濃国更級へ連れ帰る
  • 妻はかなりの美人で性格もよく、土地を治める領主(蘇我氏)が妻の噂を聞き、白助に「勝負に(領主が)勝ったら妻を差し出すように、その代わり白助が勝ったら大金をやる・地位をやる」と持ちかけてきた
  • 二番勝負は白助が2勝、金と地位を手に入れた
  • コレに感謝した白助は両親の供養もあり、十一面観音像を造り、長谷寺を建てた
  • その9年後、妻はいきなり「私は瀧蔵権現である、奈良に帰る、このことは他言無用」と言い左腕を遺して消える
  • 奈良から妻と一緒に連れてきた少年も「私も神様、人に言うな」と言って消えた
  • 白助が造った十一面観音像の左腕が無くなっていたので、妻の左腕をはめたところピッタリだった
  • 白助には5人子供が居り、子はそれぞれ1万石づつ遺産相続した
  • 白助は五万長者と呼ばれた

奈良の長谷寺の十一面観音は創建前にいいことをしていた! というお話らしい。奈良の長谷寺はこの件から100年後に創建、となっていた。また善光寺は存在している設定。奈良の長谷寺の創建縁起については信濃長谷寺は一切関わってこないみたい(日本三長谷の奈良と鎌倉、御本尊が同じ木から出来ていると紹介されていていたが、信濃についてはスルー)。

十一面観音は頭に11つの顔をつけている観音様で、現世利益をもたらすということで奈良時代から人気の観音様なんだそうだ。

 

鐘楼門から観音堂の間は庭園・芝生になっていて、広い。

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さっそくお参りに。

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観音堂から見下ろすと、とても綺麗だった。

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十一面観音というか、観音菩薩観音菩薩は色んな姿に変化するらしく、33種類の姿を持っているらしい。十一面観音はそのひとつで、頭につけている11つの顔のうち一番目立つ正面には阿弥陀如来がついている。基本形は聖観音)は阿弥陀如来善光寺の御本尊)のお付きの菩薩らしく。それでこちらのお寺さんの縁起に善光寺が絡んでいるようだ。阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩勢至菩薩で、この二尊の前世は無人島に捨てられた兄弟だったという。ちなみに阿弥陀如来の前世が兄弟の実母で、その関係で阿弥陀如来に従っているらしい。兄弟の父親は生まれ変わって釈迦如来になったとかで、つまり阿弥陀如来と釈迦如来は元夫婦になるようだ。凄い世界ね。

 

観音様にお参りの後は、観音堂の後ろ側にある霊場や長谷神社の方へ行ってみた。

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裏手は急斜面で、なかなか厳しい。

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↑長谷神社(上社)

長谷神社は延喜式内社だそうで、やはり古い神社。

長谷神社下社は長谷寺境内ではなく、麓の集落にあるらしい。また、上社と下社では御祭神が違い、上社は聖大神、下社は健御名方神事代主神だった。上社の八聖大神は「はせのおおかみ」とも読むらしい。この神様は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛(事代主神の娘ともされる)の子で、初代科野国造の神八井耳命だという。また、この神様はこの地を治めていた「五万長者」の祖であるという。

寺伝に出てきた白助こと五万長者がこんなところにも出てきた。寺伝とは内容がだいぶ異なるものの。

 

延喜式内社の「長谷神社」とは現在の下社を指すらしい。長谷郷の産土神諏訪大明神だったそうで。上社が統治者の氏神・下社が産土神ということらしい。元は別の神社だったが天保7(1836)年に吉田家から上社・下社あわせて「長谷神社」と称するよう命じられたそうだ。

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↓境内案内図

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全部は回れないなー。この他にも康楽寺の開基の西仏のお墓がある。自分のお寺に墓がないとか何故なのか。西仏が軍師をつとめていた木曽義仲軍が横田河原の戦いの時、長谷寺も戦火に巻き込まれ焼失したと言われている。

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あとはこんなものも↑

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30分登ればあるらしい…また今度。

山門の方へ下りていくと、「開基殿」という建物があった。白壁の蔵のような造り。壁は落書きだらけ。

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酷いことするよねーなんて話していたが。

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明治6年だとー? 

 

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↑蛇杉

子供がこの蛇杉の前で太極拳みたいなのを急にやり始めた。何を感じ取ったのだろう、怖い。

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長谷寺を後にした。

 

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近くの古墳も見てきたよ。鶴萩古墳という名前の古墳らしい。

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入り口開いてるから盗掘済みなんだろうねー。この古墳、非常に古墳らしい綺麗な形をしている。

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出かけたのは二月下旬だったのに、花が咲いている。春が来るのかー。

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いかにもな見事な古墳なので、つい嬉しくなり写真を撮りまくってしまった。

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さすがに、この中に入る勇気はなかった。昔読んでいたマンガで、古墳に閉じ込められその内部に蔓延していた古代ウイルスに感染した双子が超能力で云々というのを思い出しちゃった。アレとにかく登場人物が殺されまくって面白かったんだけど、とりあえず閉じ込められる嫌だしなー。

6世紀後半築造と推定される円墳らしい。古墳時代後期にありがちな横穴式だそうで、この鶴萩古墳は横穴式石室(玄室・羨道)と墳丘がほぼ完全に残っている素晴らしいものみたい。墳丘はこの地方独特のもの(地元の石材と土砂を使っている)、分類としては土砂混合墳というらしい。入り口にもかなり大きな石が積み重なっている様子が見えるが、内部もこんな感じの石で構成され、最奥には一番大きい石(2.3m×2.7m)が置かれているらしい。天井も五枚の巨石が載せられているそうで…絶対古墳って宇宙人が関わっていると思う。地球人が宇宙人に教えてもらった技術で造られていると信じてるわ。とにかくシュメール人は宇宙から来たと頑なに信じています。

 

古墳でウッキウキになったの、私だけだった。満足したので帰った。

 

★★★★☆

古墳が最高だった。

 

 

長谷寺

創建年 舒明天皇9(637)年?