お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

安楽寺

常楽寺へ行きました。

大正12年に建てられた石標らしい。左は安楽寺青木村方面。

右は、

別所神社と常楽寺へ。

傍らの黒門には「崇福山」という扁額が掲げられていた。安楽寺の山門である。この先から安楽寺の境内となり、門は寛政4(1792)年に建てられたそうだ。

古そうな常夜灯もあるし、この先にポップなのもあった。

ハート柄のラブリーな奴だよ。ピンク色に塗りたくりたい。

蓮池があった。

ここから上るよ。

広い。

安楽寺は天長年間(824~834)に開かれたと伝わる寺院だけど、鎌倉時代以前の記録が乏しいらしい。

しかし古いお寺さんであることは確かである。

なんか古そうな感じするから。

千社札ベタベタ貼ってあるよ。

安永年間(1772~1781)頃、天愚孔平(本名:萩野信敏)という変わり者の寺社仏閣マニアがおり、

  1. お参りしては記念に落書きする
  2. 落書きするのが面倒になる
  3. そこで自分の名前をB5くらいの紙に大量印刷して貼ることにした
  4. 名前を貼ることが江戸でブームになる
  5. 皆で真似して寺社に札を貼ってしまう
  6. 寛政11(1799)年、町奉行により禁止令が出されるが守られず…

文化14(1817)年に亡くなった天愚孔平さんは千社札開発者として名を残した。

 

千社札の大きさも一応決まったサイズがあるそうで、B5よりずっと小さいもので落ち着いたらしい。高いところへハシゴをかけて貼っていたのかと思っていたら、実は竿の先に札をつけて貼っていたそうだ。この札は「参籠と同じ功徳がある」という民間信仰があって、寺社仏閣側の許可と御朱印を戴いた後で貼ることが出来たそうだ。今はもうどこでも許可されないだろうねえ。

古くて格式高いお寺さんらしく、お庭が非常に綺麗。手入れが行き届いている。

鐘楼。

安楽寺の本堂。

長野縣町村誌によれば、

  • 天平年間(729~749)に行基が建立した(一説には天長年間(824~834)の建立)
  • 安和年間(968~970)、平惟茂が戸隠山で鬼退治した後に別所山に至り、八角四重塔と三楽寺四院を建立
  • 養和年間(1181)、木曽義仲が横田河原の戦ったとき兵火にかかり、燃えてしまったが八角四重塔だけ残った
  • ただし、上記の内容は寺伝で伝わる内容である(定かではない)

続いて、

  • 鎌倉の建長寺で受戒している樵谷惟仙が中興の祖で臨済宗に改まった
  • 樵谷惟仙は宋へ留学、弘安元(1278)年帰国(建長寺開山の蘭渓道隆も同じ船にいたらしい)
  • 正応元(1288)年、北条貞時が堂宇を再建する
  • その後また荒廃してしまい、正安元(1299)年に北条貞時がもう一度再建する
  • 第二代の住職である幼牛恵仁は樵谷惟仙が留学中、一緒に学んだ法弟である
  • 樵谷惟仙が帰国した際、一緒に連れてきた
  • 樵谷惟仙が亡くなった後、幼牛和尚が跡を継いだ
  • 樵谷惟仙・幼牛恵仁のそれぞれの木像には嘉暦4(1329)年という年号があった
  • その後、また火災で堂宇が燃えてしまったが、塔だけ残った
  • 天正8年(1580)に高井郡の興国寺(須坂市臥竜公園の隣にある寺)から住職が来て、曹洞宗に改まった

 

樵谷惟仙さんが実質的な開山のようだ。

wikiによると、この方は生没年不明になっているものの寛元4(1246)年に宋から帰国しているというので、鎌倉時代中期くらいの人らしい。外国留学をしているぐらいだから物凄く優秀な方だったらしくて、ここに信濃国最古の禅寺を作ったそうだ。元々が信濃国出身(木曽義仲の縁者とか?)で最初は隣の寺(常楽寺)で修行したという縁。二代目の住職は宋出身の人。

本堂へお参りした後、国宝の塔を見に行った。このお寺さんの塔は長野県初の国宝指定された凄いもの。

 

簡単な説明文があった。

蘭渓道隆の文章、ちょっと難しくて分からなかったけど、多分「建長寺安楽寺は一心同体みたいなモノだから皆で仲良く学んで盛り立てていってね」とかそんな感じなのかな?

建長寺鎌倉五山のトップだった。

臨済宗は宗派が15派もあって、それぞれ本山があってややこしい感じ。建長寺は北条氏の独裁政治が確立した時期に、北条氏によって建てられた寺院だという。だから、鎌倉で一番権威ある寺院。そんな寺院と肩を並べる安楽寺は偉い、ということのようだ。

まずは経蔵。文字通りお経を収納している建物。

ここから上っていく。

池があった。

錦鯉いるよ。

この日は非常に天気が良く、平日にも関わらず観光客が多く居た。善光寺御開帳のせいなのか大河ドラマの影響もあるのかしら(結局毎週見てる…今の時代の地上波ドラマであれだけ登場人物ガンガン殺されていくの他にないからいい。仲間とか絆とかゲロ吐きそうなヘンな思想もないしさ)。

木々の向こうに建物が見えた。あれが国宝か。不揃いな六地蔵もいらっしゃる。

島木赤彦という人の歌碑みたい。大正12年、別所温泉に来詠んだ詠んだ歌だという。この人は旧諏訪藩士で明治時代は教員やってたという父を持ち、本人も長じて教師となり僅か33歳で尋常小学校長に上り詰めたアララギ派歌人だそうだ。なんか聞いたことあるから有名なんだろう(この人の歌碑、他でも見たわ)。

歌碑の内容は、古い像(樵谷惟仙さんと幼牛恵仁さんの木像二体)を見たよ、ということで。

塔までのゆるゆると上る道の途中に傳法堂という建物があった。短歌に出てくる木像はこちらに納められている。

どちらも嘉暦4(1329)年に彫られた古い像。国の重要文化財である。傍らの説明板には没後に弟子達が作らせた、とあった。

建物の左隣には水子地蔵と北条氏の家紋、そして裏の高台には三重塔。

建物の右隣は、ひっそりと祠が並んでいた。

歴代の住職のお墓かもしれない?

さて目指す塔が近づいてきている。
ちなみに塔の周りは墓地が広がっている。安楽寺の檀家さんたちのお墓。

正式名称は、安楽寺八角三重塔というそうだ。

第一印象は、茸を裏から見たとき、だった。恐らく屋根が八角形だからだ。日本には現在木造の八角塔がココしかない。大体は屋根が四角形。円に近いから茸の傘に見えてしまったのか、なんという不敬だろう。

ぱっと見、四重塔に見えるが、一番下の屋根は「裳階」という見解となっている。屋根は上の写真にある3つだけということになっている。裳階は風雨を避けるための庇(本来の屋根だけでは小さすぎて雨など防げない)、屋根らしきものをたくさん付けると立派に見えるという飾りの意味、裳階は外回廊の役目も兼ねることが出来るのでその分部屋の広さを確保出来る、などと色々な理由で付けられているそうだ。

裳階がある塔は、世界最古の木造建造物である法隆寺金堂と五重塔(いずれも7世紀)、薬師寺東塔(天平年間、729~749)など古い時代から存在する。よくある装飾なんだろうな。

建てられた時期については、塩田北条氏がいた建治3(1277)~元弘3(1333)年の間が定説となっているらしい。塔は本来、仏舎利(お釈迦様の遺骨、または遺物と見立てた宝石や経典)を安置するためのものだったが、中世になると死者の供養のために建てられる事が多くなり、この八角三重塔も供養塔ではないかとされる。時代的には元寇の頃だしな。

宋(南宋)から僧が来日し、また南宋も滅亡(1279年)したので、意外と亡命してきた僧以外の宋人(建築技術者とか)は多いのかもしれないなと思うぐらい、中国っぽい建物のようだ。禅宗様(唐様)という様式だそうで、鎌倉時代初期から徐々に日本へ技術が渡ってきたそうな。

八角塔は安楽寺以外にも建てられた(京都や奈良)が、他はすべて失われてしまった。特に京都の法勝寺(現在の京都市動物園内の観覧車付近)にあった八角九重塔が有名らしく。こちらは白河院が承保3(1076)年に建立した壮大な寺院で、白河院の権力の象徴だったそう。当時「国王の氏寺」とか呼ばれたらしい。永保3(1083)年に落成した八角九重塔は高さ約80mというデカさ。

完成以来、デカすぎて地震などの自然災害の被害を受けまくっていたが、承元2(1208)年落雷によりトドメを刺されたようだ。その5年後に再建。康永元(1342)年、再び焼失。再建されず。法勝寺も応仁の乱(応仁元(1467)年~文明9(1477)年)前後に度々焼失、荒廃し、いつの間にか廃寺に。京都市街地のお寺さんは「寛永頃、徳川家により再建された」という印象だけど、再建されずに消えたお寺さんも相当数ありそう。

 

この八角三重塔の説明板には、「三重塔は仰いでお参りすることが大切です。山の上から眺めおろすものではありません」とハッキリ書かれていた。えっ上から見た方が綺麗なのかなと思うけど、それは違うのか…。まあ、檀家さんたちの墓地が塔の周りに広がっているので、墓地の方へは行かない(←明記してあった)ようにさせるためかもしれないけど。

周りは山で木々が覆い繁っている。木々の間に避雷針らしきものが伸びていた。ひっそりと国宝を守っている。

八角三重塔の案内板には、

  • 中国から伝わった「禅宗様」で作られた、現存する国内唯一の八角三重塔
  • 長野県内では「国宝第一号」
  • 禅宗寺院にもかかわらず、内部には大日如来が安置されている
  • 太陽信仰と関わりがある?
  • 創建は1290年代

とあった。

「塔」はお釈迦様の遺骨(仏舎利)を納めるためのものなので、内部に階段がないそうだ。そういえば以前、薬師寺の特別拝観で塔の扉を開けて内部を公開していたので見せて貰ったことがある。確か、平城京とかせんとくんで盛り上がってた頃。内部はがらんどうとしており、階段とかなかった。それまでは螺旋階段かなにかあって、最上階まで登れると思ってた…。(薬師寺の特別拝観期間に西塔初層の拝観が出来た。平成27(2015)年には昔安置されていたであろう塑像がいくつか新たに再現され安置されたそうだ。私が拝観したときには多分なかった)

格子窓のように見えるアレは換気口なのかな?

 

安楽寺の御本尊は釈迦如来だそう。大日如来密教の御本尊でもあり、太陽神とされる。うちの宗派は禅宗じゃないから詳しくないけど、大日如来はすべての仏を生み出した存在とされ、釈迦如来大日如来から生まれたらしい。曼荼羅の真ん中にいる仏様が大日如来だそうだ。ちなみにうちの宗派は浄土宗で、浄土宗も曹洞宗大日如来についてあまり言及していないそう。まあ浄土宗は阿弥陀如来の話しかしない気がする。

 

ここが塔の入り口だよ。

 

下ります。

経堂まで戻った。

 

ここ1年ほど御朱印集めに手を出してしまい、なんとなく集めている。

世の中の人は御朱印帳に直接書いて貰うのが一般的みたいだけど、私は凝った綺麗な紙に墨書きされている書き置きを集めたい人。しかし美しい書き置きを用意されている寺社仏閣は多くない。やっぱり書いて貰う方が徳を積めるのだろうか? でも限定書き置きの方が気になるのよね。

御朱印帳も諏訪・稲荷・伊勢など、御祭神毎に御帳面を分けた方が良いのか、習合しちゃってる神仏も多いが神社とお寺を分けたりするのが正しいのか、特定の神社を管理する為に建てられた神宮寺はお寺なのか神社なのか、色々考えるともう分からなくなっちゃうんだよね。昔の人はどうしていたんだろうか? 家族には「お守りだっていくつも持ち歩いている人いるんだし、神様も仏様もみんな一緒でも気にされないのではないだろうか?」と言われた。そっかー納得した。

古い扉だ。

筍生えていた。

 

★★★★★

国宝の八角三重塔もいいけど、よく手入れされた庭園や三重塔へ向かう道が良かった

 

常楽寺

創建年 不明

 

 

 

青木村の道の駅でお蕎麦食べたよ。自分にそばアレルギーの疑いを持っているので滅多に食べない。1年ぶりのそばは大変美味しかった。

道の駅では御城印がたくさん売っていた。世間的には少々目立たないような染屋城とか岡城とかあれば、松本城とか弘前城も何故かあった。ああこれは「定期的に通って集めろ」という宇宙から飛んできた電波のメッセージかも!

 

北条氏のお寺に行ったから、塩田城の御城印を買った。

塩田城の本郭、木漏れ日が差していてとても居心地の良い場所だったなー。安楽寺の三重塔の所に書いてあった「北条氏の太陽信仰云々」は塩田城にも何かしらあったのかなー? と思った。