松山城の本丸へは、徒歩・ロープウェー・リフトのどれかで行ける。このうちリフトとロープウェーは乗り場も切符も同一で、どちらに乗ってもいい。多分リフトが一番早く着ける。
リフト・ロープウェー乗り場から本丸まで15分くらい。
石垣がっつりの要塞だよ。
本丸まで来たけど、とにかく時間に追われたので写真をひたすら撮る。撮っては小走りに。案内板など読まず写真で撮って後で確認だよ。
本丸はかなり広かった。ここだけでも相当な数の兵を配置できる。千人くらい詰められそうかなー? この場所には本丸の門と番所が置かれており、常時3人詰めていたとある。
建物が残っている辺りは少し高台になっており、ごつめの石垣がそびえていたよ。ここから本丸の建物まで5分ほど。広い。
石材どうやって探してきたんだろう。
目指しているところ、まだ遠いんだけど! どうなっているのよ。
門があった。ここより本丸のメインの場所になるようだ。
入ってみると、先ほどの場所とは趣が違う。
山のてっぺんとは思えない。
この施設は平地ギリギリに作ってあるので、柵がなかったら落ちて死ぬかもな! って程度の危険度。本丸とは言え、番所がある区画よりずっと高台。
また門がある。
この門を潜ると、ようやく本丸の本丸に辿り着く。
くぐった門はこんな形。造りが非常にしっかりしている。
こちら側は遺構が多い。そしてまた広い。番所があった区画と同じくらいの面積があるんじゃないか? どうなっているんだ。
まだ少しずつ高くなっていく。位置感覚が分からないように通路が作られている。何度も来ていれば分かるのかもしれないけど、初見だと感覚狂っちゃう。
ようやく最深部かなー?
まだ門あるよ。
長かった。
遠くに見えるあれが天守閣である。
古そうで新しい感じするな。馬具櫓だって。
この城、どうなってんの??? まだ天守閣遠いよ。本丸部分だけで一般的な城と同じ広さ。とにかくでかい。
眼下には三の丸が。
やっと御城印もらえる売店に着く。時間がないもののやはり見たいので入城した。
時間がないのでここでも写真だけ撮りまくる。
ついに1ノ門まで来た。
本壇という言い方をするようだ。心臓部である。
また門が。三の門とあった。
天守も見に行くが、とにかく慌てて見た。ここからはスリッパに履き替えて建物内見学だよ!
玄関様子。
とても広い。
北隅櫓への階段。
お城とはいえ、幕末に建てられた最末期のものなので、造りはなんとなく古民家っぽい気がした。そして、各部屋には古い品物がずらっと展示されていた。久松家伝来の品々なのだろうか。
時間がないので、一切見ておりません。
北隅櫓には楯っぽいの置いてあった。
松山藩の藩主家一覧。蛇の目紋の加藤家と葵紋の久松家しか分からない。調べると「蛇の目紋」「下り藤紋」は加藤家、「葵紋」「星梅鉢紋」が久松家、残りの「三つ巴紋」は蒲生家ということだそうだ。
狭間も何かモダンな印象。幕末になってくると違うのか。戦国時代から250年以上経つもんな。
明るくて開放的なのよね。
刀・槍・鎧などずらっと展示されていた。刀もざっと見たけど知ってそうな刀いなかった。
何かのキャラクターもいた。まつやまお城フェスタに出てくる「足立重信CV.緑川光」だそう。ボイス聞けたらしい。知らなかった。大物呼んでるじゃないの聞きたかった。
松山城の構造は大天守・小天守・北隅櫓・南隅櫓の建物があり回廊でそれぞれ結ばれている。
天明4(1784)年に落雷で本丸のほとんどの建物を焼失してしまったそうで、安政元(1854)年に債権されたそうだ。元の位置とは少し違うかも? という調査結果があるそうだ。天明期から城の再建なんて不景気で大変だっただろうな。こんな山の上だし。
ちゃんと見て回ると2時間近くかかるんじゃないか? ここを常時3人程度しかおらず、有事に守るというのは厳しい気がするな。何かあったとしても麓で撃退できるか。
時間を気にして「見て回って写真を撮る」を重視したせいか、位置感覚がなくなってしまい、どの辺りにいるか全く分からない。
ここが小天守かな? お城フェスタのパネルがある。パネルは小天守にも設置されているとあった(大天守の入り口と先ほどの廊下と3つ設置されているそうだ)。
梁だけ見るとやはり古民家っぽい。細かいところに時代の差異を感じてしまう…建物自体にやる気があるようなないような? ぶっ殺すぞって感じがあんまりしない。石落としとか城っぽいものは揃っているんだけど。
ここからは本檀、三の丸と見晴らしが良い。
もちろん本檀の内部も丸見えである。
屋根に上がっていた弓矢の飾りのようだ。矢に見えない。
かっこいいフォトスポットあった。誰も撮ってなかったが、あるだけでも和む。
侵入禁止とか拘ってて良いわね。急に軍人になった気分よ。
何かの部屋があるけど入れない? 気になるけど多分見ても「あーさっき通ったわ」って場所のような気がする。入り組んでいる。
よし大天守だ!
大天守は三層。二層めだよ。
五層だったと言われているけど寛永19(1642)年に三層に改修されてしまったそうだ。でも五層の天守なんかなかった! という調査結果もあったりして分からないらしい。城なんて機密しかないんだから。
見晴らしは…小天守の方が良かった。
やけに細い廊下。
大天守最上階への階段。
さすがに最上階の見晴らしは格別ですわ。
でもあまり人いなかったわ。広さは小天守とほぼ同じくらいかな。違いは望遠鏡があったこと。100円入れると見えるやつ。昭和っぽい。
階段は二カ所あるらしい。登り専用・下り専用。そしてまた「侵入禁止」。
がーって降りて一階まで行った。ちなみに南隅櫓は立ち入り禁止になっていた。
そしてあっという間にお外へ。ここからは走った。
走っている私は何をしているのだろうか。敗走兵みたいじゃないの。
飛行機には間に合いました…。
★★★★★
さすが四国を代表するお城だけあって麓の二の丸・三の丸も含めて圧巻の一言だったよ、もっと時間欲しかった
<松山城>
築城年 慶長7(1602)年着工 完成は約25年後
築城主 加藤嘉明
三月末にこの人の映画が日本でも公開される。
全国ロードショーになっていたが、長野みたいなクソ田舎でも上映されるのか(この為に東京行くのか…? ロビーは好きじゃないし、猿っていうよりあいつ犬ぽくないか? えええ…)と思いつつシアター探したら、なんとこっちでも上映する。えっどうしよう。
でも待てロビーだよ? どんな映画か分からないしショック受けるんじゃないかと(Take That本当にドはまりしたアイドルグループで義務教育を終了してバイト出来るようになったらお金貯めて来日コンサート行くんだ、というのが目標だったぐらい。グループは私の中学卒業より前に崩壊した)。ロビーのことは2000年位までしか追ってないし、Take That再結成は知っていたけどロビーまで参加していたの知らない。2000年当時はロビーとゲイリーの関係が最悪だったし、確かロビー抜きだった(ロビーは当時ソロですんごい売れていた印象を持っていた)ので「再結成か…お金なくなったのかな」と色々と冷めた気持ちだった。
しかしロビーの映画の評価がとても高く、感動するらしい。えっロビーの人生が??? という狐につままれたような気分になった。私の中ではロビーは悪童のままなので。感動する要素なし。
そこで意を決して、2000年以降の流れを見た。
- 2000年頃 ロビーは順調に売れている(アイドル時代からおクスリ常用していたためなのかわりとすぐパンツまで脱ごうとする)が、この頃にはゲイリー以下4人が表舞台より消えている(私はロビーがゲイリーをついに潰したと思っていたので、ロビーの曲も聴かなくなる。大多数の人がそう思っていたんじゃないかな? 口を開けばゲイリーを罵っていた感じ)
- 2002年 メンバーで一番の人気を誇ったマークだが解散後は行き詰まってしまっていた、テレビのリアリティショー出演で再び注目が集まり嬉しくて泣く(箱推しだったけど、強いて一番をあげるならとにかくカワイイがすぎるマークですわ)
- 2005年 Take That解散から10年(1996年解散だが、実質はロビー脱退の1995年ってことか)のドキュメンタリーが放送されて、本人達も一部別録だったものの登場し色々(主に悪さを?)暴露する内容だったようだ、ロビーとゲイリーの対立に関するインタビューもあったようでロビーが「酷いことして本当にごめんなさい」と言い、ゲイリーの方も「状況が悪かった(当時のマスゴミが煽った)ので仕方ないことだった、僕も君のようなキャリアを本当は積みたかった」と返してロビーの「彼の幸せな家庭と僕の経歴を交換したい」と締めくくる内容で和解っぽくなったものの結局ロビー以外のメンバーで再結成、入れ替わるようにロビーが売れなくなる
- 2006年 アルバム出す、活動状況はメンバーからロビーにも伝えてあるとされ、ロビーもそろそろ参加するんじゃないかという噂が流れる
- 2007年 ロビーが薬物治療施設に入所、マークが持ってきたロビーへのメッセージソング(ゲイリーは感づいていたが黙認したらしい)をシングルカットして、10枚目の大ヒットとなる(この曲凄く良かったです)。解散後初めてロビーとゲイリーが会う
- 2008年 ロビーとゲイリーが一緒にマンチェスタ・ユナイテッド(Take Thatのホームもマンチェスター)の試合を観戦しているのに気付いた記者がインタビューし、「いやー仲悪いよ」「まだ一言もしゃべってないし」と答えている、しかし試合中二人で笑いながらしゃべっていたらしい
- 2009年 ロビーが「ゲイリーが誘ってくれるなら戻っていいぞ」と雑誌インタビューで言い出すが、ゲイリーは「いや今アイツいらないし」と一蹴する、その年の暮れに5人で参加したTVのチャリティー番組で肩組んで歌い最後はハグする、レコーディングをみんなでしていることを発表
- 2010年 ロビーが正式に再加入し、ロビーとゲイリーのデュエット曲(PVでいちゃついている)まで発売、本当は2009年に5人で作ったアルバムが完成していたがロビーの仕事が忙しく復帰できなかったことも公表し、5人に戻るまでのドキュメンタリー映画も発表(ロビーはじめ皆依存症など問題を抱えていたそうで、その辺りの問題やメンバー間対立の解消、再結成からロビー再加入の5年間がメインらしい)
- 2011年 5人でのアルバム発表とツアーを開始、ツアーチケットは1日で完売し計110万枚売った、ロビーが育休取りたいという理由で脱退する、ゲイリーは「いつでも戻ってこいよ」と別れる(が、時間が合えばメンバーとしてイベント参加していた)
- 2012年 ロビーとゲイリーが一緒に曲を作りロビーが歌ってヒットする(Candy)、ロンドン五輪閉会式で5人集まる予定がロビーの妻出産でキャンセル(ゲイリーも子供が死産だったばかりでもさすがにキャンセルできなかったのか参加している)、閉会式でメンバーのジェイソンが事実上引退(世捨て人みたいな人、この人はソロ転向せずほぼTake Thatの活動しかしなかった)
- 2013年 レコーディングの予定発表
- 2014年 ジェイソン正式脱退、レコーディング開始したが妻出産を理由にロビーは参加せず当面は3人で活動することになった(These DaysのPVはかわいらしく私もこんな感じのオジサンになりたいと思った)
- 2023年頃まで アルバム出したりミュージカルやったり、それぞれ仕事したりする
- 2023年 Netflixでロビーのドキュメンタリーが放映(中身は①Take That時代②ソロ時代③メディアに叩かれ病んでる時代④昔の仲間に再会した今の心境)
- 2024年 現メンバー3人で来日コンサートした、ロビーの映画をイギリスで先行公開
- 2025年 ロビーの映画が日本公開
これなら見てもいいか、と少し安心した。
映画の登場人物にギャラガー兄弟の名前もあった。懐かしい。2025年オアシス復活ツアー(来日する)があるそうだ。宣伝かしら。オールセインツの子が絡んでくるので出てくるらしい。オアシス再結成って兄弟が金に困ってとった最後の手段という感じがする。
Netflixドキュメンタリーの④の昔の仲間ってTake Thatでしょ…2007~2010あたりの話かな、ドキュメンタリーがそこで終わっているならいいか! ってなった(でも不安。日本公開前だから日本語での感想なし。Googleのレビュー見ても「ロビーあなたは素晴らしい」「ロビーの生き様に涙する」ばかりで、ロビーを知らないアメリカ人が「猿のお前誰だよ」と酷評しているし、辛うじてTake Thatの曲を最後昔の仲間達と歌う的なもの・Netflixドキュメンタリーの内容より新しい物はないという記述を見つけた程度でネタバレが一切ないのが凄い。まあイギリス人なら皆知ってるような内容ってことかもしれない)。映画見て泣いてくるよ!
1992年~1995年のコンサートとかTV番組のスタジオ録画見始めたらやっぱり面白く、ずーっと見ている。2010年の再結成やデュエット曲をTVで歌っているのも見たが、ロビーとゲイリーが並んでいる歌う場面が体感で1/3くらい。そりゃ皆ツーショット見たいよね。めっちゃ笑顔で話しているのを変な気持ちで見ていたが、だいぶ慣れたよ。Xファクターでキャンディ歌って、最後に審査員のゲイリーを誇らしげにロビーが紹介するっていう動画も見たけど、本当に仲良くしてるっぽいんだよね…。
ロビーとゲイリーのかっこいいやつ置いときます。
メインボーカルがロビー
ちょっとダサいのがゲイリー
ゲイリーが最初から身なりにも本気出してたらグループの方向性とか色々変わっていたのかもね。
ロビーはいない(解散間際の1995年末と思われる)。
15年後
今もちょっと、どういう気持ちで見ればいいのか分からないw
悪乗りしすぎと思うけど、とにかく今もう仲良しなのは分かったよ。
このグループの初期コンセプトは(マネージャーの趣味で)ゲイ向けだった。シンガーソングライター志望のゲイリーが上半身裸の写真を芸能事務所にバラまいたことがグループを作るキッカケになったみたいだしな。かなりの時期までゲイリーがさぶ(雑誌)に出てきそうな感じだったし(ゲイリーは妻子持ち。ロビーはゲイの噂が嫌でネタにしたゴシップ誌を訴えた。身持ちが堅いゲイリー以外のメンバー、特にマークは女にだらしない)…このコンセプトに囚われていなければBSBみたいにアメリカ含む全世界で売れていたかもな。再結成時に件のマネージャーは締め出され、物議を巻き起こしたデビュー曲は再結成以降歌わない事をメンバーで取り決めたらしい。あとBSBが未だに解散していないことも驚きだよ。
しかし無名時代からの付き合いで一緒に売れて大きな喧嘩もしたけどそれぞれ血反吐を吐く思いで頑張ってビッグネームになって、ドイツ統一みたいな歴史的和解して実際一緒に仕事してみたら楽しくなっちゃってしかも以前より売れたって素晴らしいよねえええええええ未だに信じられないよ!
という話を100%の熱量で家族にしたら引かれました。
私も結局コンサートは行けなかったけど、(1993年くらい?の)ベルリンコンサートやデビューしたての「アッー! これ売れなそう」と思っちゃうような古い動画もYouTubeで気軽に観られる。なんて良い時代なんだろう。長生きして良かった。