お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

小諸城大手門+鍋蓋城

ついに御城印を集め始めた。春に龍岡城の御城印が発売されたというのを最近知ったからだ…最終的には鮫ヶ尾城の御城印が欲しい(あれは私が喜ぶ内容だわ)。

 

上田城に行った。上田城の御城印は印刷ではなく、手書きだった。気合い入ってる! f:id:henrilesidaner:20210613111238j:plain

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真田神社では茅の輪くぐりしてきた。御朱印を求めてやってくる人が多いようで、御朱印帳片手の観光客いっぱいだった。

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上田行った理由がコレ↓なんだけどね。信州の土木カード第3弾。

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取り組みやすい範囲。

 

その後は電車で小諸へ。

途中の駅で凄い物あった↓

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化学泡消火器じゃないの!? 実物を初めて見たわ。ボロボロだけど。中の構造までバッチリ見えるぞ。しかし何故あんなところに?

 

小諸到着。

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小諸での目的はご飯。とても美味しかったです。

テラス席にした。ハーブの良い匂いがただよって居心地が良かった。

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そして懐古園小諸城)へ。

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さらーっと天守閣跡登って。

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さらーっと水の手展望台へ。

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今は橋かかっているが、元の構造は違うらしい。

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水の手不明御門跡という案内板があったい。

後に(大手門のところで)教えてもらった話だが、ここには開かずの門があり城が落ちるヤバイと切羽詰まったら城主が逃げるところなんだって。

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下の石にはブツブツがついている。どういう理由のブツブツなのか分からず(滑り止めとかでつけたのか、水滴が穿ったのか、単なるデザインなのか…)。

門の礎石が見当たらなかったが、橋の下にあるのかな?

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本来は横の階段から登るようだ。

ただ、いざ逃げる時ここからどうやって崖下へ下りるんだろう? みたいな場所。

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眼下は千曲川だよ。とても低く見える。

 

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さらーっと歩いた。三の門は崩れちゃったようで、工事中。

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時間があったので、大手門まで行った。

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櫓のところ、開いてない?

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こちら側はがら空きだけど。

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反対側は兵士配置出来るみたい。狙われてるー。

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どうやら上登れるらしい。何かやっているみたい。

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行ってみた。

 

内部は資料室だった。ボランティアの方が居り、小諸城と大手門とかの説明をしてもらった。

  • 大手門は四の門とも言われ、お城の入り口の門でもある
  • 明治維新後民間に払い下げられ、大手門は料亭となる
  • 他の門は買い手がつき移築されたものがほとんどだが、三の門は大きすぎて移せず
  • ちなみに水の手展望台の不明御門は買う者がいなかったそうだが、現在は所在不明
  • 料亭のあとは学校とか図書館としても使われたあと所有者から市へ寄贈された
  • 国の重文指定を受け、改修した
  • 図面が遺っていたので、江戸時代当時のものに復元した
  • 建材も当時のものをなるべく使用
  • 大手門の中には三の丸などがあったが、面影はなし(さっき食事した場所とか含まれる広範囲な郭)
  • 今は小諸城内の雰囲気ない、なぜなら信越本線でぶった切られ駅前として開発されたから
  • 大手門は小諸城内の他の門(三の門とか)と違い、往時から瓦葺き
  • 古い形式の門で、東日本だとあとは弘前城の門ぐらいしか遺っていない
  • 小諸城の原形はこの近くにいた人(名前は言わなかったが大井氏だと思う)だが、武田氏がやってきて作り替え、最終的には仙石秀久が整えた

大手門の櫓内部に地図があり、「ここにいた人がー」と屋敷を構えた場所を教えてくれた。

 

その後、小諸城が酷い水害に遭い三の門が壊された話(聞いたら、戌の満水だった)、三の門近くの徴古館は本丸御殿を模している話とか、

↑徴古館

懐古園料金所近くは本来もっと石垣が狭くなっており、敵がわっと押し寄せないようになっていたとか、水の手展望台は城主が逃げる最終手段である場所とか。

そういう話を聞いたよ。

 

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↑こっちの方角に館跡があるはずなので行ってみる。

 

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布引トンネルの看板あった。

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塀に狭間が設けられた民家が見つかった。

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どうやらココらしい。人が住んでいる?

塀の狭間は昔からあるものなのか、わざわざ作ったものなのか…。ちなみに横から見たら普通の家だった。

門にこの場所の説明が書いてあった。

  • 1487年、大井光田忠により作られた鍋蓋城跡
  • 小諸の街中に初めて出来た城
  • 武田氏統治下では鍋蓋城を取り囲むように街道が作られた
  • 街道沿いに人を移して城下町を形成
  • 同時に小諸城の原形も作られた
  • 江戸時代には小諸藩城代家老(家臣の中で一番身分が高い)の屋敷として使われた
  • この屋敷の石垣は小諸城の城郭であり、また武家地と町人地を仕切るものでもあった
  • 現在の建物は昭和に宿泊施設として建てられたもの(非公開)

説明書きには古い地図と現在の地図を重ね合わせたものも載せられていた。見た感じ、家老屋敷の敷地の真ん中を今立っている道路が貫いている。狭間を設けた塀は後付けだね。宿泊施設の雰囲気作りのために作ったわざと狭間を設けたのかな。

布引トンネルの制限云々の道路標識辺りも鍋蓋城の範囲かもしれない。

 

鍋蓋城から小諸駅まで戻ったが、ここらは江戸時代に武家地だった場所と思われる。

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工事中。公園を拡張しているようだ。工事の内容は「町並み保存」らしい

一帯に遺っている建物は明治後期に作られた商家っぽい。その商家を保存する事業を行っているようだ。

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よく見れば商家の造りしてるじゃない。

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この周辺は「禰津曲輪」「馬場」があったが、大手門で教えて貰ったとおり鉄道で懐古園と切り離され、駅前開発されたためにこういう風に商家が立ち並んで小諸城内の面影がなくなったということかー。なんかもう「うちは大昔から町人地でしたよ?」みたいな感じだよ。


★★★☆☆

一番気になったのが、化学泡消火器と鍋蓋城の名前の由来

 

 <鍋蓋城>

築城年 長享元(1486)年

築城主 大井光忠