今月は子供接待強化月間で、金欠よー。
以前、ドライブしていて見つけたこれ↓
「浄土宗 大城山 興正寺」という看板。このお寺はお城跡なんじゃないの??? と思い調べてみたところ、予想が当たったわ。ちなみに家族に話したところ「ちょっとキモイ」と返されました。酷い。
この場所は興正寺が管理している(らしい)展望公園の案内看板が見える峠道。多分、古い時代に開かれた昔の道だと思う。興正寺は麓の集落の中にあった。
全体的に新しい、綺麗な印象だ。平成初期に修復事業があったようだ。門の近くには文字も消えかけて読めない石碑が3基あった。
この他になんとか供養塔とか。
長い参道。このお寺さん、駐車場がかなり広い。奥の方にこぢんまりと見える山門・本堂・鐘楼の他、右手側には生活の拠点であろう母屋などの建物群が広がり、敷地面積は相当広い感じ。そして背後に山。あの山のどこかに詰めの城があるのだろうか(そこまで探せなかった)。看板を見つけた峠道は、お寺さんの背後の山を通っている。その峠道は森(現在地)→戸倉→上山田→坂城に抜けられる。
南北朝時代の館跡だった?という柏王神社の背後の山を通り、宮坂武男先生が「詰めの城あると思うんだけど痕跡が全く見当たらない」と口惜しそうに書いていた、地元にも伝承が残らないという謎の城(地名は残っていたらしい)があったかも? という峠道↓ですよ。
現在は林道になっている。車よりトレッキング中の中高年が多かったわ。
この辺りには森氏という一族がいたらしいが、絶えてしまったようで。坂城を本拠とした村上氏の支流だった入山氏という一族が上山田から引っ越してきて、森氏の旧領を引き継いだとか言われているらしい。
そういえば、上山田に入山城があったよ。あそこから来たのかねー?
興正寺は、1500年代半ばにこの場所に移転してきたらしい。館機能が失われていたのかな? 住んでた人が滅ぼされたとかかねー? 戦国時代真っ只中だよ。
山門や鐘楼は江戸末期の建築なのかねー。山門の彫刻は立川流2代目の立川和四郎冨昌の作品だそうな。見応えあったよ。
そして、「だぁ!だぁ!だぁ!」というマンガで主人公達が住んでいる寺院「西園寺」のモデルにもなっているらしい。私、読んだこと無いわー。有名なのかしら?
これから法事が行われるらしく、続々と人が集まってきていた。
古い仏像や彫刻が置かれている。
お寺さん、平成の大修理の関係なのか、元からなのか分からないけど。館だった時代の痕跡なさそうだ。雰囲気はお城っぽかったよー。嵩上げしている感じが特に。
★★★★☆
山門や鐘楼目当てでやってくる人がいるようで、建築物が見事だった。
<森館>
築城年 不明
築城主 森氏? 入山氏?