お城めぐり

ちびっこ同伴で気軽に行けるお城(+神社仏閣、古い遺跡)の記録。ちびっこ連れでの個人的な感想と難易度を★であらわしてみました。

荒堀内記屋敷

杵渕氏の家来だという荒堀さんのお屋敷跡は現在「荒堀公民館」になっている。 こちらも古くからある集落なので、周りは民家。遺構も見当たらず。 公民館の敷地内には祠と石碑。 石碑の方は文字が薄れすぎていて分からない。「なんとか大神」と書いてあるよう…

杵渕氏館

古い豪族の杵渕氏。ココが発祥の地らしい。 平安時代末期の源平合戦の頃から杵渕氏はいた。養和元(1181)年の横田河原の戦いで戦死した杵渕重光という人がいたようだ。富部家俊の家来やっていたとか。二人とも平家軍所属で木曽義仲の軍勢に討たれたそう…

古大穴神社

古大穴神社、「こおおな」と読むそう。これも読めない名前。創建年は不明で、一番古い記録が享保12(1727)年。それ以前の記録は災害により失われてしまったが、元禄7(1694)年社殿を再建したという伝承があるという。「こおおな」という変わっ…

雨宮坐日吉神社

今年の初詣は近所の神社にお参りしてきたものの、もうちょっと神社行きたいような気分になり出かけてきた。 雨宮坐日吉神社というところ。 あめのみや・ざ・ひよしじんじゃと読むのかと思っていたのに、あめのみや・にます・ひよしじんじゃが正解らしい。読…

水沢氏屋敷

水沢氏館跡を見に行ってきた。 水沢さんというのがどういう人達で、いつ何をしてきたのかは分からず。館も残っておらず。 館関連で残っているのは↑この竹藪のみだとか。 これは土塁跡だそうで、確かに言われればそんな感じかな? とも思える代物。 竹藪の手…

広田城(昌龍寺)

東昌寺から細い道を歩いていくと、昌龍寺に至る。 お寺の周囲の道も元はお堀なのかしら? 東昌寺と同じく、お寺を囲むように道が続いている。折角なのでお寺の周りを回ってみた。 東昌寺よりも広いお寺のようだ。↑写真左の黒くて高い何かは「四面角塔鐘楼」…

広田城または藤牧城(東昌寺)

広田城こと東昌寺に行ってきた。 ここはややこしい。長野市文化財データベースでは「藤牧城跡(東昌寺)」ということになっている。東昌寺から徒歩数分の場所に昌龍寺というお寺さんがあり、データベースでは「広田城跡(昌龍寺)」とあった。その根拠は分か…

尾張城

こんな仰々しい名前の公園に行ってきた↑ 新興住宅地の中にある、ありふれた感じの公園。昔ここに尾張城があったから、そういう名前らしい。 黒御影石だかの渋く立派な石碑が建っている。この石碑の裏には平成11(1999)年3月の文字。恐怖の大王が降り…

内後館

性懲りもなく、再び住宅地の中にあるお城跡を見に行った。内後館という、小田切氏上屋敷。小田切さん館はこれで3つ目。 上屋敷とか下屋敷とか、大名みたい。江戸時代だと、上屋敷=藩主居住地・(中屋敷=跡継・隠居の住まい等)・下屋敷=別荘となるようだ…

於下館

小田切氏館その2。於下館というそうだ。下屋敷の意味らしい。今は何もなく、住宅地になっている。 ↑於下公民館の北西側が館跡になるらしい。 何の感想も浮かばない。 「館跡」を示す看板があった。コレがないと探すの苦労するだろうなー。 ・小田切氏下屋敷…

今井神社

気付くと外は晩秋の景色になってました。ここ最近の記憶がないぞ。 今井神社に行ってきました。 今井兼平という男を祀る神社です。ところが長野県神社庁のサイトでは天照大御神が御祭神になっている。ちなみに勧請は白鳳元年9月とされている。「白鳳元年」…

寺尾城

朝晩と肌寒くなり、また花粉の季節がやってきた。あーうざい。 もう草枯れてくる頃だろうと山の様子を見に行ってみた。今回は寺尾城。 本郭には「寺尾殿の墓」と刻んだ墓があるそうな。何故墓なのか。そんな場所に寺尾家の御先祖が祀られているのか、墓参も…

二ノ入館

以前、荒砥城に行った時に↑を見たのだが。平時の館の話はほとんど聞かないなとずっと引っかかっていた。この図によれば、「二の入館」というらしい。 幸いなのか、弁天池という池は今も存在しているようなので、とりあえず行ってみる。かなりの田舎な場所の…

清野氏館

クソ暑い毎日だった。しかしどこにも出かけないと辛い。そして出かけると夏の暑さに閉口し、やっぱり家に居たほうが良かったんじゃないかと後悔する、その繰り返しだった。なので、思い切って一番暑い時間帯に外へ出てやったよ。 手書きの看板が愛らしい古峯…

八王子山砦

冬に登っただけだったので、夏に再度八王子山に登った。その記録。 以前本で読んだ、八王子山のお城らしきものはちょっとだけ分かった。専門家が登れば、もっと多くの跡が見つかるんだろうなと思う。 スタート。 てくてく歩いて分岐点到着。 山の神様こんに…

小柴見城

小柴見城は現在、大部分が浄水場となっている。 その為お城までの道路状況はかなりよく、車でサクサク上れる好立地。 こんな感じの山道を上ったところにある。切通風の道だが、実は本郭と2の郭との間にあった堀切を流用した道路らしい。 右側が2の郭だった…

木曽殿屋敷

朝日将軍といえば木曽義仲である。そしてここは朝日山の近く、木曽殿屋敷と呼ばれるお城跡がある。 ここに古いお屋敷があったことは間違いないらしい。木曽義仲縁者のお屋敷だとか、守護の小笠原氏の館じゃないかとか、ここから歩いて10分ほどにある朝日城…

朝日山観音

受験生の合格祈願で有名な神社。そして正月三が日の初詣でも賑わう。 ここまでの車道がかなり狭い。1車線幅。↓こんな感じなのよ。すれ違い絶望的な箇所もある。 なので、お正月だと神社の氏子さんたち総出で交通整理に当たる。受験シーズンはどうだったかな…

小田切氏館

小田切氏館はこの道の奥にあった。 周りは畑、宅地、そして小学校。小学校を造った時に結構開発されちゃったとか。 なので、小田切氏がここに館を作った当時の様子はどうだったのか、分からなくなっているらしい。小学校を建てるずっと以前から「古城跡」と…

佐久間氏館

長沼城の近くに、佐久間氏が使っていた館があったらしい。長沼藩時代の館で、当時藩主の他に二つ分家があった。長沼知行所(5000石)の佐久間勝盛家、赤沼知行所(3000石)の佐久間勝興家。 長沼知行所の勝盛さんは初代藩主の佐久間勝之さんの嫡男・…

長沼城

元和元(1615)年に成立した長沼藩1万8千石がかつてココにあった。貞享5(1688)年に廃藩された、短命な藩だった。藩主は佐久間氏で、大阪の陣で戦功を挙げた佐久間勝之という人が藩祖である。それから数えて4代目、佐久間勝親は時の将軍・徳川…

妻女山陣場

第4次川中島合戦で、上杉謙信が本陣を置いた場所、と言われている。 現在は松代妻女山招魂社という神社と見晴らし台がある。招魂社は戊辰戦争の折に従軍し命を落とした松代藩士52名を弔うために明治2(1869)年に第10代藩主真田幸民が建立したもの…

真田氏本城

ここまで車で上がってこられた。すぐ近くまで集落があるので舗装路だったんだろうけど、ここ数年で造られたと思われる駐車場もありで楽々。観光客もいて、駐車場がら空きではなく。新しいトイレまで整備されてて力入ってんな、と思った。真田氏館の対になる…

真田氏館

スギ花粉の最盛期。鼻水とくしゃみが止まらない。くしゃみするたび「誰かが私の悪口言ってる!」と思って嫌な気分になる私は、この時期はそこら中で常に悪しざまに言われている気がしてイライラします。 真田家の本貫地へ行った。真田氏の館は現在、公園にな…

皆神山

その筋の人にはお馴染みの聖地、皆神山に行ってきた。この日も愛好者が県内外から巡礼にきていたっぽい。駐車場には色々な土地のナンバーつけた車が数台。 ↑こんな場所である。 山頂付近には皆神神社がある。ここは自在山、自在神社で出てきた3兄弟の次兄が…

雨宮の渡し

第4次川中島合戦で有名な雨宮の渡しに行った。 ここの場所については↑の写真の通り。 元々この場所は街道の要衝にある渡し場だったらしい。案内板には「川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった」と仰々しく書いて…

原畑城+室賀氷上神社

晴れた日に、室賀峠→原畑城→室賀氷上神社と回ってきました。 室賀峠というのは、どうも古くから存在する道のよう。その記念として、ちょっとした広場があった。 見晴らしは…。素朴な峠、といったところか。 とりあえずコイツ↑が邪魔をしている気がする。 石…

竹山城

今年初めて山っぽいものに登った。 あの山。標高500mないらしい。頂上には竹山城というお城があった。 「竹山」というのはあの山の名前らしいが、基本的には象山と呼ばれている。竹山という名前も江戸時代に入って真田家がこの地にやってきたときに、あ…

笄の渡し+横吹八丁

この場所は昔、川の渡し場があったという。「笄の渡し」という名前で、笄とは棒状の装身具。元々は髷を結うときに髪を掻き上げるため使った道具で、結った髪を崩さずに頭皮を掻けるという便利グッズでもあったらしい。それが、江戸期には花魁が頭にこれでも…

生島足島神社

行ってきました↑ ここは生島神・足島神の二柱を祀るとても古い神社である。信州一宮は諏訪大社だそうな。 境内はこんな感じ。本殿がある場所を「神島」、神島が浮かぶ池を「神池」と呼ぶようだ。パッと見、海に浮かぶ島=日本みたいな図式で、長い間二神を国…